【村井敏邦の刑事事件・裁判考(91)】
新型コロナウィルスと刑事人権
 
2020年6月11日
村井敏邦さん(一橋大学名誉教授)
 新型コロナウィルスの蔓延によって、市民活動、経済活動など、様々の分野において、深刻な影響が出ています。コロナ禍のための人権侵害も、見過ごせない状態で進行しています。
 感染した人に対してだけではなく、医療従事者やその家族に対しても、差別や偏見で地域にいたたまれずするとか、排除するということが行われました。
 このような現象は、コレラが蔓延した時でも、あったようです。

明治期のコレラ騒動と病院・医師の災難
 石井研堂の『明治事物起原』に、「コレラ騒動」として、次のような記事があります。
 「明治年間、コレラ病のおほいに流行せるは、十年と十二年の二ヶ年にて、十二年度は、総患者十六万八千余人、死者十万一千余名を出せり。
 このときのことなるが、新潟県のある地域に、一種の流言あり。「虎列刺患者だといふて、無理に避病院に入れるのは、その実、患者のいき肝を取るためなり。その証拠には、病院に入れたら最後、親兄弟にも面会させず、死体は遺族のものにも伝染を恐るといふ口実で、みな焼きつくすのだ」と。
 今日にては、かやうの妄説は、小学の生徒も信ぜざれども、当時は、この説を信ずる者も多く、村民群がり起って竹槍をしごき、避病院襲撃などの騒擾ありしなり。
 同十四年十二月、伝染病者届出規則を出せるが、二十一年四月一日より、伝染病予防消毒取締規則といふ長い題の規則を実施するに至りて、前規則を廃止せり。
 千葉県鴨川町汐留区に医師沼野玄昌殉職の碑あり。明治十年に同地にコレラ病流行し、当時コレラ病に認識なく、沼野氏が治療に当たりをるところを、竹槍にて漁民に刺し殺されき。十一月二十一日は、その命日なり。」

 恐怖が高じると、このような妄言が伝播し、医師等に対して、無用の偏見を持ち、挙句の果てには、殺傷行為にまで及ぶということは、明治年間のみならず、今回のコロナ騒動にもあったことです。

刑事司法におけるコロナ禍の影響
 コロナの蔓延で緊急事態宣言が発せられ、裁判の進行がストップするという事態が生じました。それは、民事・刑事どちらにも生じた事態です。民事の場合には、それでも、遠隔地対策として、電話による打ち合わせや話し合いが可能ですが、刑事事件の場合には、そうはいきません。拘束されている被疑者・被告人とのフェイス・ツー・フェイスの打ち合わせ・事情聴取が必要です。
 弁護人との接見については、コロナ禍でも大きな支障なく行われたようですが、その他面会については、当初は、禁止措置さえとられました。
 もちろん、閉鎖された空間にいる人たちに伝染病が感染しない対策は、よほど念入りに行われる必要があります。そのための対策は必要ですが、他方、そうした状況にいる人にとっては、一般社会にいる人以上に、不安感が大きくなります。とくに、家族等との面会を拒絶されると、社会との窓を閉ざされたような不安感が増大するでしょう。
 感染対策をすることによって、家族等との面会は特に支障がないはずです。家族面会を禁止するという措置は、過剰反応だというべきでしょう。当初の過剰反応から、現在は、それほどのトラブルなしで家族面会が認められるようになったようです。

閉鎖・密閉空間での拘禁による感染の危険性回避
 そもそも被疑者・被告人の拘禁場所が問題です。警察留置所や拘置所は、それ自体、密閉された場所です。そのうえ、複数が同一部屋に拘禁されているのが、通常の状態です。まさに、密閉された密な場所です。換気もよくありません。感染予防の「三密」を避けるということにまったく反した空間です。
 このような空間への収容自体、感染の危険性をはらんでいます。この危険を避けるためには、そのような空間への収容をできるだけ避ける以外にありません。その方策は、逮捕・勾留をできるだけしないということでしょう。
 すでに勾留されている場合については、勾留取消や執行停止によって対応することが可能です。被疑者勾留については保釈が認められませんが、被告人勾留には保釈が認められます。できるだけ保釈を許可することが必要でしょう。制度的な問題では、被疑者にも保釈を認めることが、改正の検討課題として浮かび上がってきました。
 コロナ禍の蔓延によって、裁判自体が延期されるということが生じました。このことによって、勾留による弊害は一段と深刻になりました。審理のめどがつかないまま、長期間密閉空間に拘束されるのです。感染の危険性に加えて、いったいこの状態がいつ終わるのか、という不安が増大します。ただでさえ不安定な被告人の精神状態をより悪化させる要因です。

審判の場の変化
 緊急事態宣言が解除され、徐々に裁判が再開されてきました。しかし、再開された審判は、それまでの審判とは違っています。相違点を2点あげましょう。
 第一は、関係者が全員マスクをしていることです。この法廷でのマスク着用については、弁護人がマスク着用では力が入らないので、着用なしを許可してもらいたいと、異議を申し述べたケースがあります。このケースでは、弁護人と裁判員との間にアクリル板を置くことによって飛沫感染防止をしました。
 このように、工夫次第で代替策がとれる場合には、弁護人や訴訟関係人が活動しやすい状況を作り出すことが必要でしょう。
 第二の傍聴席の件については、ジャーナリストの江川紹子さんが、傍聴者を制限するのは、裁判の公開の原則に反すると批判しています。

江川さんのコメント
 「裁判員裁判が行われて、国民が司法に参加するようになった今、国民の傍聴機会を守り、裁判の公開を充実させることは、ますます重要になっているといえるだろう。コロナ対策といい、関係者が多い事件での被害者対応といい、「何かあったら、まず傍聴席を削る」という裁判所の発想は、この時代の要請に逆行している。
 裁判所では、性犯罪の被害者など、被告人がいる法廷にどうしても出廷できない人に証言させる場合、別室に証人を呼び、法廷内のモニターに映像と音声を送るビデオリンク方式で尋問を行うことがある。
 やむを得ず傍聴席を削る場合には、同じ仕組みを使い、別の法廷や会議室などに傍聴希望者を入れて、傍聴の機会を設けることも、技術的には可能だ。
 あるいは、被害者参加人が多くてバーのなかに入りきれず、そのうえ遮蔽措置を求めている、というやまゆり園事件のようなケースでは、被害関係者が別室でビデオリンク方式によって安心して傍聴してもらえるようにしてもいいのではないか。
 いずれにしても、まずはそうした工夫をしてみるのが先で、安易に傍聴席を削減するべきではない。」(江川紹子の「事件ウオッチ」第153回Business Journal掲載)

 私もこの江川さんの意見に賛成です。
 
【村井敏邦さんプロフィール】
一橋大学法学部長、龍谷大学法科大学院教授、大阪学院大学法科大学院教授を経て、現在一橋大学名誉教授。法学館憲法研究所客員研究員。