【村井敏邦の刑事事件・裁判考(57)】
子どもを窓から投げ落とした母親の事件
 
2016年4月28日
村井敏邦さん(一橋大学名誉教授)

 2014年12月、母親が自宅マンションの窓から長男(当時5歳)を投げ落として殺害したとして、殺人などの罪で起訴された事件がありました。この事件について、東京地裁は本年(2016年)3月23日、裁判員裁判で、懲役11年(求刑懲役15年)の判決を言い渡しました。
 この事件で、被告人は、「転落は事故だった」と無罪を主張しましたが、判決では、転落前に被害者が寝ていた状況や窓の高さなどから、「被害者が自分で窓の施錠を外して転落したとは考えられない」と認めて、無罪主張を退けました。
 この事件は、今から140年前にドストエフスキーが『作家の日記』で取り上げたコルニーロヴァの事件を思い起こさせます。今回は、この二つの事件を比較して考えてみたいと思います。

コルニーロヴァ事件

 『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』など、犯罪を題材にした作品の多い、ロシアの文豪ドストエフスキーに、創作の動機やロシアで起きた事件について記した『作家の日記』という作品があります。その1876年5月号には、次のような記事があります。

 「さきごろ、ある継母が、四階から六つになるまま娘を投げ出したが、その子供は少しもけがをしないで立った。はたしてこれはいくらかでも、犯罪の残虐さを変ずるか、はたして娘は何の苦痛も」感じなかったか?ついでに、この継母の弁護人がどんなふうに弁護するか、私はしぜんと想像したくなる。弁護士は必ず、事態が土壇場まで行っていたとか、年若い彼女が無理に男やもめのところに嫁入りされた、もしくは誤って自分で嫁入ってきたとか、そういうことを持ち出すに違いない。そこには貧しい生活風景や、絶えざる労働が出てくるであろう。素朴で無邪気な彼女は嫁入ってきながら、経験のない娘の常として(現在の教育ではことさらである!)嫁に行けばうれしいことばかりだと思っていたところ、うれしいことどころではなく、よごれた肌着の洗濯や、食事のこしらえや、子どもを洗ってやることなどに、追われ通しである。「陪審員諸君、彼女がこの子供を憎まざるを得なかったのは、もっともであります(子供を悪者にして、六つの娘の中にあさましい、憎むべき性質を捜しだそうとするような、こうした「弁護士」があるいは出てくるかもしれない)。自暴自棄の極、狂乱の衝動に駆られて、ほとんどわれをわきまえずに、彼女はこの娘をとらえて……陪審員諸君、君がたのはたして誰が、これと同じことをしないでいられよう?君がたの誰が子供を窓から投げ出さないでいられよう?」2巻310−311頁。

 また、同年10月号には、
「十月十五日、裁判所で例の継母事件の判決があった、それはご記憶でもあろうが、半年前の五月に、六歳になる自分の幼い継娘を、四階の窓からほうり出したところ、子供は何かの奇跡で怪我一つせず、息災でいたという、その事件なのである。このまま母はエカチェリーナ・コルニーロヴァという二十歳になる農婦で、さる男やもめに嫁していたが、この男は、彼女の陳述によれば、夫婦喧嘩をしたあげく、彼女を親戚のところへ逗留にやらず、先方をも家へ寄せつけず、そのころは世帯向きがもっとうまくいっていた、といって彼女を責める等々、一口にいえば、「ついに彼に愛想をつかさせるほどに仕向けた」のである。そこで、亭主に復讐するために、彼がいつも引き合いに出しては自分を非難した先妻の娘を、窓から投げ捨てることを思いつき、それを実行したのであった。要するに、事件は、一子供が奇跡的に助かったという点をのぞくと、一見したところ、かなり単純明瞭なようである。裁判所でもこの点、すなわち「単純」という点からこの事件を見て、簡単このうえもないやり口で、「犯行当時十七歳以上二十歳未満に相当するエカチェリーナ・コルニーロヴァを、二年八ヶ月の懲役に処し、その満期後、終身シベリア流刑」ということに判決を下した。
 しかし、単純明瞭このうえもないほどであるにもかかわらず、そこには何か完全に闡明されないものが残っている。被告(かなり気持ちのよい顔立ちをした女)は、たまたま臨月に裁判を受けるようになったため、万一に備えて、産婆が法廷へ招聘されていた。まだこの犯罪が発生したばかりのころ(したがって、被告は妊娠四ヶ月のわけである)、私はこの『日記』の五月号に「わが国の「弁護士連」の常套的態度と官僚主義を検討しながら、そのついでといった形で、ほんのちょっとふれただけであるが、次のように書いた。これがすなわち憤激にたえぬのである……しかるに、実際においては、この人非人の継母のふるまいはあまりにも奇怪千万なので、まったくのところ、おそらく犯罪者の罪を軽減するような、繊細で深刻な詮議も必要になってくるのである。」当時こういうふうに私は書いておいた。今、事実について点検してみよう。第一に、被告は自分で有罪と認めた。しかし、それは犯行の直後で、みずから自首して出たのである。その時、警察で語ったところによると、彼女は日ごろから夫に対するつらあてで憎んでいた継娘を、亡きものにしてしまおうと、すでに前の日から思い立ったのであるが、その晩は夫の在宅で妨げられたとのことである。いよいよ翌日になって、夫が仕事に出かけるやいなや、彼女は窓を開けて、草花の鉢を窓じきりの一方に片寄せ、継娘を呼んで、窓じきりにあがって窓の下を見てごらん、と言いつけた。娘は、もちろん、はいあがった。ひょっとしたら、窓の下にどんな面白いものが見えるかと、進んであがったのかもしれない。しかし、はいあがってひざをつき、両手を窓に突っ張って、のぞいてみた途端、継母はそのちっちゃな両足をうしろからつかんで持ちあげたので、娘は宙にもんどり打った。犯人は落ちて行く女の子をみおろすと(こんなふうに自分の口から自白している)、窓を閉めて、着替えをすませ、部屋の戸締りをして、犯行自白に警察分署へ出頭したのである。これが事実の全部で、ちょっと考えると、これ以上簡単なことはないと思われるくらいだが、そこにどれだけの幻想的分子がふくまれているか知れないのである。……
 こういうわけで、かようなお慈悲ぶかい判決は、証拠も十分で、犯人の完全な自白によって裏書きされている犯罪に対して、時に真正面から、「被告は無罪だ、そんなことはしなかった、人を殺しなどしなかった」と否定する。かようなお慈悲ぶかい判決が(たまには適宜の処置として誤たないこともあるが、そういう稀有の場合をのぞいて)人を驚かせ、社会に嘲笑と疑惑の念を呼び起こしたのである。しかも、どうなろう、いま私が農婦コルニーロヴァの判決(二年八カ月の懲役)を読んだとたん、ふと頭に浮かんだのは、今こそ彼らとしてはこの女を弁護してやるべき時だ、――まったく今こそ、「無罪だ、殺しはしなかった、窓からほうり出しなどはしなかった」といってやればよかったのに、という考えであった。とはいえ、私は自分の思想を発展さすため、何にもせよ、抽象や感情に深入りするようなことはしまい。私にはただこう思われるのだ、そこには被告を弁護するのに、最も合法的なといってよいほどの理由があった。ほかでもない、――彼女の妊娠である。」
と、続報を載せています。

『妊娠中の激情』

 さらに同年12月号に、
「ちょうどまる二月前、十月の『日記』の中で、私は一人の不幸な犯罪者、カチェリーナ・プロコーフィエヴナ・コルニーロヴァについて小文をものにした。それは五月の月に、夫へのつらあてから、六つになる継娘を窓から投げ出したあの継母である。この事件は、四階の窓から投げ出されたその小さな継娘が、なんの怪我もなく損傷も受けず、現在、達者でぴんぴんしているということで、とくに有名である。私は十月号の文章をこまごまと繰り返すことはしまい、おそらく読者も忘れてはいられまい。ただその文章の目的だけ繰り返しておくが、私はこの事件を聞くが早いか、あまりに奇異の感に打たれたので、これはあまり(・・・)単純(・・・)に見過ごすべきではない、という気がしたのである。不幸な犯罪者は妊娠中だったので、夫の叱責にいらいらして、ふさぎの虫に取りつかれていたのである。しかし、彼女の犯行の原因はその点ではなく、つまり、彼女を叱責して悲しませた夫に復讐したいという希望ではなく、「妊娠中の激情」だったのである。私に言わせると、彼女はそのとき数日ないし数週間にわたって、まだ研究されていないが確実に存在している、ある種の妊娠に独特の粗暴な精神状態にいたのである。そのような時、妊婦の精神には奇妙な変化が現われ、不思議な暗示や影響に囚えられ、狂気ならざる狂気に陥って、それが時としては、あまりに強烈な畸形にまで達することがある。」
と、事件の背景に、被告人の『妊娠中の激情』があったことを明らかにしています。

 
【村井敏邦さんプロフィール】
一橋大学法学部長、龍谷大学法科大学院教授、大阪学院大学法科大学院教授を経て、現在一橋大学名誉教授。法学館憲法研究所客員研究員。