【村井敏邦の刑事事件・裁判考(46)】
刑事免責制度と司法取引の導入について
 
2015年4月13日
村井敏邦さん(一橋大学名誉教授)
刑事訴訟法改正案
 3月13日、第189回国会に刑事訴訟法の一部を改正する法案が提出されました。この改正案は、厚生労働省局長の事件で、検察官が証拠をねつ造した問題を受けて、捜査の可視化等、不当な捜査のあり方を考えるということから始まったことでした。捜査官による証拠のねつ造問題については、このコラムでも取り上げました。
 本来は、捜査のあり方を考え直すということで出発したのですが、出てきた改正案では、取調べの可視化が盛り込まれているものの、必ずしも十分なものではありません。そのうえ、盗聴などの新しい捜査手法が提案されており、併せて、司法取引や刑事免責制度なども提案されています。
 今回は、これらの提案のうち、司法取引と刑事免責について検討することにします。

司法取引とは
 司法取引は、英米法に由来する制度で、「答弁取引」とも言われます。刑事事件で、被告人と検察官が合意して、刑を引き下げたり、一部の訴因を認める代わりに、他の訴因を訴追しないなどと取引することです。
 従来、日本では、このような制度を認めると、証拠調べが慎重に行われず、冤罪を生む危険性があるということで、導入をしてきませんでした。とくに、精神的に問題がある人や少年の場合には、その内容がわからずに同意してしまう危険性があります。アメリカでも、すでにこの制度になじみのある累犯前科者については、制度を利益に使うことができるが、少年や初犯者は制度をうまく活用することができず、訴追側にいいようにされてしまうとか、あまり熱心でない弁護人などは、早めに合意させて、事件を終わらせることに専念するなどの問題点が指摘されています。
 今回提案されている制度は、「証拠収集等への協力及び訴追に関する合意制度」と名付けられており、「捜査・公判協力型協議・合意制度」です。検察官は、公務執行妨害罪や詐欺・恐喝罪、財政経済関係犯罪、覚せい剤取締法違反の罪など、一定の犯罪について被疑者・被告人となっている人が、共犯者などの他人の犯罪事実について知識を持っていると認められる場合には、取調べや証人として訊問された場合には真実を供述するとか、証拠物を提出するなど、捜査に協力する場合には、起訴しないとか、軽い訴因で起訴するなどの特典を与えるというものです。
 この制度の問題は、上記に指摘したことに加えて、他人の事件についての協力ですから、共犯者として他人を巻き込む危険性があります。さらに問題は、ここで司法取引の対象となっている犯罪は、裁判員裁判に係らない事件ですので、録音・録画の対象外です。協議・合意の場には弁護人の立会いが必要とされていますが、その前の取調べで取調官と被疑者・被告人との間でどのような話がされたのかは不明のままです。協議や合意に至る過程において、被疑者・被告人の自由な意思が完全に保障されているとは言えません。

刑事免責制度について
 刑事免責制度もアメリカの刑事司法で用いられる制度です。刑事免責制度には、二つのパターンがあります。一つは、刑事責任を問わないという、文字通り刑事責任の免除を約束して証言を強制するものであり、もう一つは、証言した内容を証言者に不利益な証拠として用いないことを約束して証言を強制する、証言の不利益利用の禁止です。
 日本の刑事裁判で、この刑事免責が問題になったことがあります。首相の賄賂罪が問題になった、いわゆるロッキード事件の公判において、日本の裁判において起訴しないことを約束して、ロッキード社の副社長の供述を求め、検察官は、その供述調書を収賄容疑で起訴されている首相の罪を立証する証拠として裁判所に提出しました。これは、第一のパターンの刑事免責です。
 これについて、最高裁判所は、このような刑事免責制度は、日本の刑事司法では許されないとしました。最高裁判所は、「我が国の憲法が、その刑事手続等に関する諸規定に照らし、このような制度の導入を否定しているものとまでは解されないが、刑訴法は、この制度に関する規定を置いていない。この制度は、前記のような合目的的な制度として機能する反面、犯罪に関係のある者の利害に直接関係し、刑事手続上重要な事項に影響を及ぼす制度であるところからすれば、これを採用するかどうかは、これを必要とする事情の有無、公正な刑事手続の観点からの当否、国民の法感情からみて公正感に合致するかどうかなどの事情を慎重に考慮して決定されるべきものであり、これを採用するのであれば、その対象範囲、手続要件、効果等を明文をもって規定すべきものと解される。」として、日本の刑事訴訟法は、この制度について規定していないので、この制度を採用していないとしました。
 この最高裁判所の判断は、第一のパターンだけではなく、第二のパターンについても同様に適用されると解されます。
 今回の提案は、刑事訴訟法を改正して、第2パターンの刑事免責制度を導入しようというものですから、上記の最高裁判所の判断に沿って制度の道をとろうとしているものであるということが言えます。しかし、規定を設ければよいのでしょうか。
 上記の判例では、「公正な刑事手続の観点からの当否」と「国民の法感情から見て公正感に合致するかなどの事情」を慎重に考慮して決定されるべきとしています。したがって、法律によって規定することの当否も、上記の点を慎重に考慮して決定されるべきです。

憲法上の問題
 上記最高裁判例は、刑事免責制度につき、憲法が「そのような制度の導入を否定しているとまではいえない」としています。微妙な言い回しです。憲法に違反するものではないが、憲法上問題がないわけではないというニュアンスが感じられます。
 憲法38条1項は、「何人も自己に不利益な供述を強要されない。」としています。刑事免責制度は、一定の条件のもとに供述を強要する制度です。この憲法条項に違反することはないのでしょうか。第1パターンの刑事免責の場合には、刑事責任を問わないことを約束するのだから、不利益供述の強要には当たらないということになるでしょうか。餌を目の前にぶらさげて、供述しろというのは、供述強要ではないでしょうか。現に、最高裁判所は、不起訴を約束して得られた自白の証拠能力を否定しています。この判例との関係はどうでしょうか。
 「上記の判例の場合には、不起訴の約束を守らずに起訴したのに対して、その約束を守った場合には、その供述を他人の事件の証拠として用いることに問題はない。」これが通説的理解です。
 しかし、どうでしょうか。やはり不公正感は否定しがたいように思います。
 第2パターンの刑事免責の場合には、供述を供述者の不利益には使用しないというものですから、不利益供述には当たらないという一応の理屈が立てられます。完全に責任を免除するというのではない点から、心理的な誘因もそれほど強くないということでしょうか。しかし、自分は安全なところにいて、他人を有罪にするために自分の供述を利用させるというのは、依然として不公正感を拭い去ることはできないように思われまず。裏切りの奨励は日本人の感覚と合うでしょうか。
 そして、司法取引で問題になったように、自分が助かるために、無関係な他人を巻き込む危険性は、刑事免責制度にはより強くあるように思われます。
 いずれにしても、司法取引、刑事免責いずれの制度の導入については、慎重な考慮が必要です。
 
【村井敏邦さんプロフィール】
一橋大学法学部長、龍谷大学法科大学院教授、大阪学院大学法科大学院教授を経て、現在一橋大学名誉教授。法学館憲法研究所客員研究員。