【村井敏邦の刑事事件・裁判考(45)】
少年は変わる
 
2015年3月16日
村井敏邦さん(一橋大学名誉教授)
ある万引き事件
 「君は何かやりたいことあるの?」「前はとくになかったけど、今は非行した少年の話を聞くような仕事がしたいです。」
 16歳の少年とつるんで、スーパーからジーパンを万引きして捕まった18歳の少年の言葉です。警察の送致書には、「地域の非行グループのボス的存在」と記載してあり、少年院送致の意見がついていました。すでに2回逮捕され、今回は3回目です。
 最初は、「このおっさん、なんで来たんや」という感じで、下から覗くように暗い目をして見ていました。「俺、弁護士なんか頼んでないですよ。」「国選弁護人制度というのがあって、裁判所が君の弁護人として私を指名したんだよ。」「でも、金がないから頼めないよ。」「大丈夫だよ、国から費用が出ているから。」
 こんなやり取りから、事件について話を聞いていきました。最初の固い表情が変わっていったのは、何回かの接見の後です。段々と心を開いてくれて、事件のことだけではなく、家族のこと、仕事のことなどについても、時には涙を見せながら話をしてくれました。
 そして、家庭裁判所への送致が決定されて、調査官との面談もあった日の午後の接見で、将来のことを聞いたのに対しての反応が、冒頭のやり取りです。
 正直言ってびっくりしました。高校は1年に入った途端に退学した少年です。「大変に勉強しくちゃいけないよ。大丈夫なの。」「頑張りたいと思っているのです。」と真剣に答えている風です。「この子の言葉を信じよう。」という気持ちになったのは、何度か少年の気持ちを確かめた後です。
 これはある付添人の経験談です。この少年との付き合いで、「少年は変わる」ということを確信したということです。少年に対する処分は保護観察でした。裁判所も少年の立ち直りに期待したのです。

殺人事件の少年
 もうひとつ例を出しましょう。それは殺人事件です。
 4人の少年が女子高校生を殺害して、死体をコンクリート詰めにしたという事件です。この事件の少年たちは、家庭裁判所から検察官に逆送され、刑事事件として起訴されました。1審の裁判所は、主犯格の少年Aに懲役17年(控訴審で20年)、準主犯格の少年Bに懲役5年以上10年以下、少年Cに懲役4年以上6年以下(5年以上9年以下)、少年Dに懲役3年以上4年以下(4年以上7年以下)の、それぞれ不定期刑を言渡しました。
 ここで取り上げるのは、少年Bです。彼は、高校に入学したものの勉強はまったくしませんでした。ところが、この事件で付添人・弁護人についた弁護士との接見を通じて、人との会話、本を読む楽しみを知りました。「それまではだれも自分のことを気にかけてくれなかった。弁護士は初めて自分の話を真剣に聞いてくれた。」
 少年は弁護士が差し入れる本を読み、そのうち、大江健三郎やニーチェにも関心を持つようになりました。刑務所では、大検に合格し、大学に入学し、コンピュータのプログラマーの資格を取得しました。
 この資格をもって、出所後、少年は会社に入り、コンピュータ関係の仕事に就きました。
 少年は、見事に変わりました。殺人事件という不幸な事件を起こしたことをきっかけとしたということは残念なことですが、この事件の弁護人を通じて、はじめて自分のことを親身に考えてくれる人に会って、人生に目覚めたのです。

社会の反応
 上の殺人事件では、一部の週刊誌が少年の名前を実名で報道しました。少年法61条には、「家庭裁判所の審判に付された少年又は少年のとき犯した罪により公訴を提起された者については、氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等によりその者が当該事件の本人であることを推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない。」とあります。少年の実名報道は、この条文に反します。
 実名報道をした週刊誌は、「事件があまりにも凶悪だから」といい、はては「獣に人権はない」とさえ言いました。
 これをきっかけとして、少年法61条の改正論議が出ました。これは現在まで続いています。
 事件の少年たちへの社会の風当たりも強いものです。実名報道だけではなく、少年の顔写真も公表され、刑期を終了して、少年が社会生活を営むようになっても、「獣が野に放たれた」式の報道がされます。
 少年Bは、会社に勤めていても、周りの人が自分を凶悪犯人だと言っているという、被害妄想が高じて、その結果、また事件を起こしてしまいました。事件を起こした少年には、社会の風はあまりにも冷たすぎたのです。

新たな少年法改正の動き
 川崎の河川敷で中学生が刺されて死亡した事件で、少年たちが犯人として逮捕され、現在、取調べが行われています。報道は連日のように行われ、一部の週刊誌は、少年の実名、顔写真を掲載しました。
 報道機関のみならず、政権政党でも、少年法の適用年齢を18歳未満に下げることと、少年法61条を改正し、実名報道を可能にすることを検討する動きが出ています。
 少年法の適用年齢の引き下げは、選挙権が18歳以上に引き下げられたということを理由としています。「権利には義務が伴う」というもっともらしいことが言われます。
 しかし、選挙権と少年の適用年齢とはまったく関係のないことです。選挙権について伴う義務は、しっかりと考えて、適切な人物に投票することです。
 少年法は、少年の成長発達過程の中で、様々な障害があることを考えて、成長発達を阻害する要因を取り除き、また、成長発達を促進する要因をより増やし強化するために、少年に対しては、刑罰ではなく、成長発達を援助するという観点から適用されるものです。したがって、その適用年齢は、成長発達の促進という観点から考えられるべきです。もちろん、いくつがいいのかどうかということについては、時代状況、少年を取り巻く環境状態などから判断されるべきことですが、現在の適用年齢が現代の時代状況に照らして不適切であるという点について、特別な事情はないと思われます。
 むしろ、現代は少年を取り巻く環境は複雑で、少年に限らず、成人とくに若い人たちにとって的確な判断をするが困難な状況があります。その点では、少年法の精神は、20歳という少年年齢に限定されずに、及ぼされる範囲が拡大されるべきでしょう。そうした点から考えるならば、少年法の適用年齢を引き下げるという議論をすべき状況ではありません。
 また、少年の実名、顔写真などのプライバシーにかかわる事情を公表することに対しては、上記のB少年の例のように、少年時代に犯した罪のために、週刊誌などで常に追及され、また、本人自身が周りに対する不信感を持ち、被害妄想に陥る場合もあるのです。
この点は、少年事件に限ったことではありません。一度罪を犯した人は、いつまで経っても社会は受容してくれないということになると、一体そのような人はどのように社会生活を送ればよいのでしょう。
 「レ・ミゼラブル」でジャンバル・ジャンは一度の万引きのために、法の権化のような刑事に生涯追いかけられます。それがいかに不条理であるかについては、この作品を読み、あるいは舞台を見た人たちが感じるところです。
 現代は、そうした時代への反省から、かつて失敗をした人に対しても寛容な態度で受け入れるという社会を作ったのではないでしょうか。長い間積み上げてきた人類の営為の結果の一つが、少年の保護であり、犯罪者の社会復帰の援助ということです。こうした貴重な結果を最近は無にするような議論が多いように感じられるのは、筆者だけでしょうか。
 
【村井敏邦さんプロフィール】
一橋大学法学部長、龍谷大学法科大学院教授、大阪学院大学法科大学院教授を経て、現在一橋大学名誉教授。法学館憲法研究所客員研究員。