『おさるのトーマス、刑法を知る』 −小学生以上向け刑法入門のひとつの形  
2014年8月11日
仲道祐樹さん(早稲田大学准教授(刑法学))
 2014年4月に、早稲田大学社会科学部の同僚である西原博史さんと、「なるほどパワーの法律講座」と題した小学校高学年以上向けの法学入門の本を上梓しました。同シリーズは、江戸川区の小学生向け学びの施設である「江戸川区子ども未来館」での法律ゼミで使用したシナリオに、大幅な加筆と、山中正大さんによるかわいいイラストとを加えたものです(その成り立ちについては、仲道祐樹=西原博史「『なるほどパワーの法律講座』の刊行に寄せて」法学セミナー714号(2014年)2-3頁もあわせてご参照いただければ幸いです)。その刑法編が今回ご紹介する『おさるのトーマス、刑法を知る』(太郎次郎社エディタス、2014年)です。

 
 もともと、法教育が語られる文脈の中で、(刑事訴訟法は別として)刑法がその対象と考えられることは少なかったように思います。おそらくそれは、法教育が持つ「市民生活の中で、必要となる法的素養を身に付ける」という側面が、大学等で語られる刑法の講義の内容と根本的な部分で異なっているからであろうと推測します。
 大学で第1回の講義を行う際、毎回学生に尋ねるのは、「なぜ刑法を学ぼうと思ったのか」という点です(私と西原さんとが所属する社会科学部は、社会科学系の学問分野を総合的に学ぶ学部ですので、法学部と違い、このような問いが浮上しやすいのです)。これに対する反応はおおよそ「刑法を学ぶことで、何が犯罪であるかを理解し、犯罪にあわないよう注意するきっかけとしたい」というものです。すなわち、「被害者側の視点」に寄り添った「刑法の知識」を求めるというニーズが一方にあります。
 しかしながら、刑法理論はそもそも、刑罰権を有する国家と、被告人との間の関係を規律し、被告人の処罰が合理的であるかを検証するためにあります。そこでは、訴追者である検察官の主張と、弁護人の主張とが対立し、いずれに理があるかが常に問題となります。それを反映して、大学では、(無罪推定の原則を前提とした上で)「どのような解釈をすれば、合理的な解決が図れるか」を講義し、また議論しているのです。このような「被害者側に寄り添った知識を求める市民的ニーズ」と「無罪推定がなされている被告人の処罰が合理的かを考える解釈論としての刑法理論」とのズレが、法教育において刑法が取り上げられにくい理由となっているように思います。

 本書は、あくまでも刑法学の魅力は、条文と罪刑法定主義を前提とした上での自由な発想と、法解釈としての緻密な論理構成にあり、それは対話を通じてのみ体得できるという認識のもと、解釈論としての刑法理論(刑法解釈の思考方法)の共有を目指して書かれています。しかしながら、刑法学のうち、刑法総論の内容は、その抽象的・形而上学的な性質から、率直に言って難解です(私もそうですが、大学時代、LS時代、あるいはご自身で勉強される中で苦しい思いをされた読者の方も多いと思います)。
 その中で、このような目的を達成するために、本書には2つの工夫を組み込みました。ひとつは、対象とするテーマを厳選することです。本書では、刑法上の諸問題の中から、刑罰の正当化根拠、共犯論、罪刑法定主義、正当防衛の4つを取り上げています。
 その上で、例えば、共犯論では、「ウサギのヤスヒコと、おさるのトーマスとが、先生に没収されたゲーム機を取り戻すために、深夜学校に忍び込もうとしたが、ヤスヒコが校門の前で翻意して、離脱の意思を表明し、トーマスがこれを了承した(その後、トーマスは残業していた担任の先生に見つかった)」というケースを素材とし、「ヤスヒコもトーマスといっしょに怒られるのか」を考えてもらう、という組み立てにしています。この素材に対して、ヤスヒコが怒られるとすれば、それはなぜかを考えてもらうこと、反対の立場の人に対して、自分の主張を理解してもらうためにはどのような理由を付し、あるいはどのようにして相手の主張を批判すればいいのかを考えてもらうこと。それが本書の狙いとするところです。このような思考・推論を経た結果として主張が持つに至る説得力のことを、本シリーズでは「なるほどパワー」と名付けています。
 もうひとつの工夫は、子どもであれば(あるいはかつて子どもであった人であれば)誰もが共有する、「大人に怒られた経験」を補助線とすることです。例えば、刑罰論では、「廊下でトーマスとヤスヒコがかけっこをした結果、友だちのサルにケガをさせてしまう」という状況と、「高速度運転をした結果、おじいさんザルにケガをさせてしまう」という状況との対比し、先生に怒られた記憶(そして、それにしばしば付随する、先生が怒ったのは理不尽だとの思い)を内在的な手がかりとして、自分の考えの出発点としてもらう、というような具合です。それが成功しているかは、読者の皆様の評価に委ねるほかありません。

 最後に、本シリーズに共通した狙いを申し上げて、この記事を閉じたいと思います。上述した、「説得力の比較を通じた合理的な問題解決」という思考方法が有用な場面は、法解釈という場面のみに限定されません。政治的な立場の表明、国際的な企業活動を展開する際のネゴシエーション、組織内のマネジメント、様々な場面でこのような思考方法が求められています。しかしながら、自らの主張を合理的に基礎付け、相手方の主張を聞き、自らの主張をとらえ返す能力、あるいはそれを通じて他者との合意に至る能力を伸ばす機会が、それほど多くないのも事実です。本シリーズは、「なるほどパワー比べ」というフレームワークの中で、そのあり方を提示することによって、合理的な規範的推論という議論のあり方が存在すること、それによって問題の解決に至り得るということを伝えたいという思いに貫かれています。読者の皆様のご支援を得て、この思いがひとりでも多くの子どもに伝われば幸いです。
 
【仲道祐樹(なかみち ゆうき)さんのプロフィール】
早稲田大学社会科学総合学術院(社会科学部)准教授、博士(法学)(早稲田大学)。専門は刑法学。