【村井敏邦の刑事事件・裁判考(33)】
日韓の反骨弁護士について
 
2014年3月17日
村井敏邦さん(大阪学院大法科大学院教授)
韓勝憲弁護士について

 先日(3月2日)、韓国の韓勝憲弁護士の近著『日韓の現代史と平和・民主主義に思う』出版記念会に出席しました。韓弁護士は、金大中元大統領の選挙違反事件や民主化活動家の事件の弁護人のしている最中に、反共法違反で拘束され、8年間も弁護士資格を停止されました。その後、「5・18光州民主化運動」で金大中元大統領が死刑判決を受けた事件でも、金元大統領とともに、投獄されました。
 その後、金大統領の下で、監査院長に任じられ、その後の盧武鉉大統領の下では、司法改革委員長に任命されて、参与裁判官システムなどの司法改革を実現しました。現在の大統領は、金大中など民主化運動家を弾圧した朴正煕大統領の娘の朴槿恵です。
 韓弁護士の現大統領評価は、国家情報機関を使って大統領選挙に介入するなど、民主主義の退行をもたらしているというものであり、日本の安倍首相に対しては、「戦没者追悼式の式辞で、過去周辺国に与えた苦しみに対する反省云々の慣例的な言辞すら口に出さなかった。再び戦争をしないという誓いもなかった。彼の歴史認識は特に対外的な面で大変間違っている」と評価しています。そして、両国の執権者が平和と民主主義を脅かす反歴史的な軌跡をたどる過程で、未熟な国家主義の旗が翻るのも看過してはいけないことである」と警告しています。

正木ひろし弁護士について

 正木ひろし弁護士は、戦前から民事事件の弁護活動で辣腕をふるっていました。その一方で、日中戦争の始まる3か月前の1937年(昭和12年)4月から個人雑誌「近きより」を発行して、軍部や政府の批判を行ってきました。多くの知識人が軍部批判を行わず、その暴走を黙認していた時代です。
 日中戦争が勃発した1937年4月発行の「近きより」2号に、「軍部がいつも、“非常時、非常時”と称して国民をおどして来た魂胆と、その実情との矛盾を非難するために“非常時”とは「日本が外国から攻め込まれでもするようなキケン」を意味するものだと思っていたところが、実際は「こっちから向こうに攻め込んでゆく」ものであったとは、うかつにも知らなかったと、トボケて書いた。」(『正木ひろし 事件・信念・自伝』115頁)
 日米開戦の年1941年(昭和16年)の「近きより」には、「反対論の許されない思想運動ほど気の抜けた運動はない。」(6月号)「亡びゆく者にとって、最後の救いは麻酔である。自己陶酔は、その一種である。」(12月号)など、現在の日本の状況に対する批判と考えてもよいような名言が見られます。
 とりわけ、翌年の9月号に見られる次の言葉は、国民の声に耳を傾けずに強引な国会運営を繰り返している現政府に対して投げかけられたものと言ってもおかしくないでしょう。「日本の社会の弱みは、精神力の弱さだと思う。権力をもつ者が、権力に奢り、権力なき者が卑屈になる状態は、精神力の希薄な著しい例ではないか。」

二人の弁護士の接点 丸正事件

 軍国主義・全体主義に反対した日韓二人の弁護士の出会いは、丸正事件を通じて実現しました。丸正事件は、1955年に起きた強盗殺人事件です。1955年5月12日、静岡県三島市にある丸正運送店の店長の絞殺死体が発見されました。タンスから預金通帳がなくなっていたので、強盗殺人事件として捜査が開始され、まもなく、沼津市のトラック運転手李得賢と運転助手鈴木一男が逮捕され、起訴されました。李得賢は終始一貫無罪を主張し、鈴木一男は一度は自白しますが、後にそれは拷問によるものだと否認に転じました。正木弁護士は、鈴木忠五弁護士とともに、二人の弁護人となり、冤罪を主張して争いましたが、静岡地裁は李に無期懲役、鈴木に懲役15年の刑を言い渡し、高裁、最高裁ともにこれが維持され、有罪が確定しました。
 この事件で、正木弁護士は、『告発』(実業之日本社、1960年)という著書を発行し、その中で、被害者の実兄夫婦と実弟が真犯人であると指摘しました。この著書の記述と記者会見で、真犯人として上の人々の名前を挙げたことを理由として、正木弁護士らは名誉棄損罪で起訴されました。
 正木弁護士は、上の名誉棄損事件が上告審に係属中の1975年12月、亡くなりました。79歳でした。
 正木弁護士が、在日韓国人李被告人のために無償で弁護活動をしており、そのために名誉棄損罪で起訴されたということが韓国に伝えられると、正木弁護士の献身的活動に感動した人々が集まって、ソウルで「李得賢事件後援会」が組織されました。韓弁護士は、この後援会の会長として、1968年4月3日、名誉棄損事件の控訴審公判の日に合わせて、日本に来て、正木弁護士に会いました。これが二人の弁護士の出会いです。

韓弁護士の正木弁護士評

 龍谷大学矯正保護研究センター(現在、矯正保護総合センター)では、正木弁護士の蔵書のすべてを寄贈してもらい、『正木文庫』として所蔵しています。正木弁護士の生誕100年を記念した行事の一環として、2009年1月30日、センターでは韓弁護士を招いて講演会を開催しました。講演の演題は、「正木弁護士と丸正事件」です。この講演記録は、韓弁護士の前掲本に掲載されています。
 韓弁護士は、この講演の中で、正木弁護士について、次のように述べています。
 「私は今まで日本という国家とDNAを別にする多くの日本人に出会ってきました。そして感動と尊敬心をともに持つようになりました。その一番目の人物がまさに正木弁護士でした。今日この席で初めてする話ではなく、今まで書物と言葉で何度も紹介し力説してきました。その方のように自国の誤りを叱責しながら、不義な国家を正すために献身することこそが、むしろ日本を偉い国に高めていく愛国的な道だと思います。そのような意味で日本の法曹界をはじめとする社会各界で正木弁護士の生涯と思想を再照明し、先生を不屈の良心と勇気を実践した偉大な人物の班列に迎えるべきだと思います。」
 もし正木弁護士が存命で、この言葉を聞いたとすれば、「韓弁護士こそ、そのような人物だ」と言ったのではないでしょうか。
 
【村井敏邦さんプロフィール】
一橋大学法学部長、龍谷大学法科大学院教授、大阪学院大学法科大学院教授を経て、現在一橋大学名誉教授。法学館憲法研究所客員研究員。