【村井敏邦の刑事事件・裁判考(26)】
飯塚事件再審請求の帰趨(1)
 
2013年7月8日
村井敏邦さん(大阪学院大法科大学院教授)
死刑執行後の再審請求

 再審請求の準備中に死刑が執行され、現在、再審請求中の事件があります。1992年2月20日、福岡県飯塚市で起きた小学校1年生の女児2名が登校途中に失踪し、翌日、遺体となって発見されるという事件がありました。飯塚市で起きた事件なので、「飯塚事件」と呼ばれています。
 この事件で、久間さんが逮捕されました。久間さんは、逮捕後終始否認し、起訴後も否認をし、一貫して無実を訴えました。しかし、1999年9月29日、福岡地裁は、久間さんに死刑を宣告しました。久間さんは控訴しましたが、福岡高裁は、2001年10月10日、控訴を棄却し、さらに、最高裁に上告したのですが、最高裁も、2006年9月8日、上告を棄却し、死刑判決が確定しました。
 確定後も、久間さんは無実を訴え続け、弁護団は久間さんとともに再審請求の準備をしていた2008年10月24日、森英介法務大臣(当時)が死刑執行を命令し、同月28日、死刑が執行されました。
 2009年10月28日、久間さんの遺族は、福岡地裁に再審を請求しました。先月(6月)26日、再審請求審における証拠調べがほぼ終了し、近日中には、福岡地裁は再審を開始するか否かの決定を行う見込みとされています。

飯塚事件の問題点(1)状況証拠の評価の問題

 飯塚事件の最大の問題点は、確定後、2年強しか経っていない時期に、終始無実を主張してきた人の死刑を執行したことです。飯塚事件の有罪の決め手となったのは、DNA型鑑定ですが、このDNA型鑑定は、足利事件で信頼性を否定されたMCT118型であり、しかも、足利事件と同じメンバーによる鑑定で、足利事件の再審で無罪となった菅家さんと同じ型が出たとされています。このこと自体でも、はなはだ奇妙なことです。
 そして、足利事件の再審請求審において、MCT118型鑑定の信頼性が問題となり、菅家さんのものであるとされたDNA型が、他の人のものである可能性があるという、弁護人側の証拠が提出され、裁判所が改めてDNA鑑定を行うということが発表された(2008年10月17日)から1週間後の死刑執行です。足利事件でMCT118型DNA鑑定の信頼性が崩れると、同じ方法で行われた飯塚事件も無罪になる可能性があることを恐れて、急いで死刑を執行したと勘ぐられても、致し方ないような奇妙に急いだ執行でした。
 飯塚事件は、久間さんを犯人と特定する直接証拠は一つもなく、状況証拠がいくつかあるというものです。DNA鑑定以外に、当初は、@久間さんの自動車を被害者の遺留品のあった場所で見たという目撃証言が重要視されました。しかし、同じ車種の車を見たという程度のもので、久間さんの車であるという特定になるとあいまいになるものでした。そのほか、A被害者の来ていた服に付着していた繊維が久間さんの車の座席の繊維と同一であるという繊維鑑定、さらに、B現場に残されていた血痕や被害者の衣服や体から検出された血液、久間さんの車の座席から検出された血液等の鑑定という証拠群があります。しかし、確定判決自身が認めるように、これらは、「そのどれを検討してみても、単独では被告人を犯人と断定することができない」ものです。そこで、裁判所は、「これらをすべて照合して総合評価」すると、久間さんが犯人であることについて、「合理的な疑いを超えて認定することができる」としました。
 福岡高裁は、さらにこの総合評価について、以下のように述べて、死刑を維持しました。すなわち、「これらの情況事実は,いずれも犯人と犯行とを結びつける情況として重要かつ特異的であり,一つ一つの情況がそれぞれに相当大きな確率で犯人を絞り込むという性質を有するものであり,これらは相互に独立した要素であるから,その結果,犯人である確率は幾何級数的に高まっていることが明らかである。」というのです。
 そもそも、一つだけでは不確かな証拠をいくつ重ねても、証明力が「幾何級数的に高まっている」というものではありません。福岡高裁は、確率を掛け合わせることによって証明力が高くなるという論理を用いているのですが、確率は確立にしかすぎません。しかも、上記の情況証拠群の一つ一つが独立していて、高い確率を示すという前提自体に疑問があるのです。

(2)数値のまやかし

 「確率は確率に過ぎない」という証拠を一つあげましょう。
 サイコロを振って、1の目が出る確率は、一回につき6分の1です。それを10回振るとします。1の目が10回出るのは、確率的には、6分の1の10乗、すなわち、60,466,176分の1ということになり、およそありえないことになります。たしかに、かなり珍しいことでしょうが、実際には、同じ目が何回も出るということはあります。1回振って1の出る確率が6分の1であるということは、次も6分の1の確率で1の目が出、次も出るということで、10回目まで6分の1の確率で出るのですから、ありえないことではないのです。
 実際に、確率の問題が争われたアメリカの事件(People v. Collins, 68 Cal. 2d 319[1968]) があります。
 1964年6月14日午前11時過ぎ、ロサンゼルス市サンペドロ地区の街頭で、強盗事件が起きました。目撃者によると、この強盗事件の犯人は、ポニーテイルをした白人女性とあごひげと口ひげをはやした黒人男性の男女二人組ということでした。さらに、現場から黒人男性の運転する黄色の自動車にポニーテイルの女性が乗って、走り去ったという目撃証言や被告人が黄色の自動車をもっているなどの証言も得られました。これらの状況証拠に基づいて、Xとその妻Y子が逮捕され、起訴されました。
 公判では、検察官側の専門証人が、各々独立した証拠が一致する確率はそれぞれの証拠が生み出す確率を掛け合わせたものになると述べ、その例として、前述のようなサイコロで同じ目の出る確率を示して説明しました。


 検察官は、この専門証言に基づき、上記のような表を示し、このすべての要素を具備する確率は、低く見積もっても1200万分の1であり、実際には、被告人たち二人以外の人間が犯人である可能性は、10億分の1のチャンスしかないと主張しました。
 この検察官の主張は、まさに飯塚事件における確定死刑判決と同じです。かりふぉるには最高裁は、この検察官の主張に対して、その立脚する数値の根拠や、各要素が独立しているという証明がないなどの点についても批判しながら、最終的には、数学による裁判は陪審員による裁判の保障に反するとしました。証拠論からは、あまりに法外な数値の提示は、陪審員に不当な偏見を抱かせるものであるから、そもそもそのような証言を許可した下級審の証拠判断に誤りがあるとしたのです。日米の裁判所の見識の違いを感じるところです。
 こうした問題は、DNA鑑定にもあることです。
 次回は、あるいは、再審請求審の結論が出されているかもしれません。その結論も含めて、引き続き飯塚事件の問題点を見ていきましょう。
 
【村井敏邦さんプロフィール】
一橋大学法学部長、龍谷大学法科大学院教授、大阪学院大学法科大学院教授を経て、現在一橋大学名誉教授。法学館憲法研究所客員研究員。