【村井敏邦の刑事事件・裁判考(19)】
「自白を獲得する騙しのテクニック」:研究と実務の狭間
 
2012年12月10日
村井敏邦さん(大阪学院大法科大学院教授)

学者の良心と裁判官の良心

 筆者が尊敬する学者であり、また、最高裁判所裁判官でもあった団藤重光博士が亡くなりました。団藤博士の刑事法学者としての功績については、この場で言うまでもないでしょう。団藤裁判官在席の時代の最高裁判所は、かなり画期的な判断を示しているので、裁判官としての功績についても、特記すべきものがあると思います。
 その団藤博士の最高裁判所裁判官就任にあたっての言葉は、次のような趣旨のことでした。
「自分はこれまで学者として、様々な発言をしてきたが、これからは裁判官として判断しなければならない。そこでは、学者としての良心ではなく、裁判官としての良心を持って判断しなければならないので、これまでとは少し違った見解を述べることになるかもしれない。」
 当時、この言葉を聞いて、私は、いささか違和感をもちました。「学者としての良心と裁判官としての良心が違ってよいのか」と。(団藤博士の名誉のために付言しますが、結局、団藤博士は、学者としての良心を実務界において貫いた人であると評価できると思います。)
 今回は、弁護士でもある法科大学院教授が、刑事弁護人として事件を担当して経験した、実務家としての判断と学者としての判断の違いについての悩みを交えつつ、表題のテーマについて論じたいと思います。

「騙しのテクニック」という表題について

 「騙しのテクニック」という表題は、警察研究で有名なアメリカのジェローム・スコールニック/リチャード・レオ(Jerome Skolnick & Richard A. Leo)著「騙しの取調べの倫理(The Ethics of Deceptive Interrogation)」というCriminal Justice Ethics1992年冬・春版に掲載された論文からとったものです。
 この論文の中で、スコールニックらは、拷問など、明らかに強制にわたる方法によって自白を得た場合には、裁判所はそれを違法として排除するので、そのような違法な手段を用いずに、一見合法的な方法とされる騙しのテクニックを用いて、「任意」という名で自白を得たりすると指摘しています。スコールニックらが挙げる取り調べにおける騙しのテクニックは、以下の8つです。
@取調べを拘束されていない面接と思わせること、
A逮捕の際に告げなければならないとされる、いわゆるミランダ警告をいかにも淡々と行なって、黙秘権などの権利の放棄に抵抗感を失わせること、
B犯罪の性質や重大性について誤った情報を与えること、
C被疑者の友達であるかのような役割を演じて、自白を引き出す、
Dたとえば、被害者を撃ったのは、被疑者ではなくて銃が悪いんだ、というように、被疑者に犯罪をしたことについての正当化感情を持たせることによって、自白への抵抗感を薄くすること、
E約束を活用すること、
F警察官であることを隠して、被疑者を取り調べること、
G証拠をでっち上げること、
 これらの騙しのテクニックは、アメリカの取調べの現場において行われていることを類型化したものです。日本では、また違ったテクニックが用いられるでしょうし、同じテクニックが用いられることもあります。Eの約束による自白については、起訴猶予の約束をした上で自白を獲得する取り調べは違法だとする判例があります。Cの、いかにも被疑者の味方であるかのように装って、警戒心をなくさせて自白を引き出す方法は、甲山事件その他、冤罪事件ではよく発見される方法です。
 以上の8つの騙しのテクニックの一つ一つについて、日本の取調べ技法に関連させて分析することは、大変興味深いのですが、ここでは、Fのテクニックに関連した問題を取り上げることにします。

あるおとり捜査事件

 ネットオークションによって客を募り、偽ブランド商品を売ったということで、商標法違反に問われている国選事件がありました。この事件を担当した弁護人は、被疑者と妻が共犯とされ、二人とも勾留されていることを知りました。被疑者との接見で、幼い子どもが二人おり、父母共に逮捕・勾留されたために、子供たちは施設に預けられている。被疑者は事実をすべて認めて、争わないで、子供たちのために早く外に出たいという意向を示しました。弁護人も、被疑者の意向に沿って、まず、勾留取消を請求し、それが裁判所によって入れられないと、次に、検察官面談を行い、不起訴への働きかけをしました。しかし、弁護人の努力もむなしく、被疑者は勾留されたまま起訴されました。
 起訴後の証拠開示を受けた弁護人は、共犯者とされている被疑者の妻を取調べた警察官と、その妻の取引相手の名前が同一であることに気づきました。もちろん、世に同姓同名の人はいるわけですから、同名であるからといって、同一人物であるとは限りません。弁護人は、警察官の所属署が同名の客の住所に近いこと、その客は、ネットオークションに登録した翌日に、商品を落札し、その直後に、同名の警察官名でオークションの主催者に照会して、被疑者の妻の客の住所等を洗い出していることなどから、警察官とオークションの客が同一人物であると確信しました。

事件の法律問題

 以上の事実関係において、弁護人は、次のような法律問題があると考えました。
 第一に、警察官が商標法違反を摘発するために、客を装って、被疑者と連絡し、被疑者を逮捕したことは、いわゆるおとり捜査に当たり、違法ではないかということです。
 第二に、警察官は、客を装って、被疑者から被疑者の名前、住所を聞き出し、偽ブランド商品の販売の事実を聞き出しています。これは、黙秘権侵害に当たり、違法ではないかということです。
 第三に、被疑者の名前を知った後、プロヴァイダーに照会をかけて、被疑者の名前で行われたネットオークションの取引リストを得たことは、本来令状を取って行うべき脱法的行為ではないかということです。
 第四に、おとりを演じた警察官が自ら被疑者の取調べをして自白を得ることは、自白の任意性を失わせる行為ではないかということです。

被告人の意向と弁護人の苦悩

 理論的問題に関心を持つのが学者です。学者でもある弁護士には、上記の法律問題、とくに、第4点は、これまで事例のないことですので、裁判所に問題提起をしたいという意識が働きます。しかし、弁護人は依頼者の意思を無視して、自分の問題関心だけで動くことはできません。
 弁護人は、被告人に以上の法律問題があることを言った上で、被告人としては争うかどうかの意思を確かめました。その際、おとり捜査については、いわゆる犯意誘発型と犯罪機会提供型に分類して、犯意誘発型の場合には違法とされる可能性があるが、この事件の場合には、警察官は偽ブランド商品のネットオークションに参加しただけであるから、それだけで違法とされる可能性はないこと、議論をするとすれば、警察官であることを隠している点が、捜査の公正さを害するということで主張する以外にないだろうが、その主張が認められる可能性は高くないこと、第2点の問題点については、警察官の身分を隠して被疑者から電話を受け、その内容を録音した場合に、いわゆる違法な盗聴であるかが問題になった事例があるが、裁判所は、このような場合については違法な盗聴ではないとしていること、第3点は、学説では違法とする議論があるが、実務的には適法とされていること、第4点については、新しい論点なので、議論する価値があるが、従来の判例の動向からすると、自白の任意性が否定される可能性は高くないことなどを、被告人に伝えました。
被告人は、無罪になる可能性がなく、このような法律問題を出すことによって、裁判が長くなるならば、争わないで、一日公判で結審という従来の方針を変えないでもらいたいということでした。
 被告人の意向に沿って、弁護人は、以上の法律問題を法廷に持ち出さないことにしましたが、このままで何もしないでよいのかについて、悩みました。その結果、弁護人は、最低限、検察官の求刑行動に反映させることを考えました。そこで、弁護人は、検察官に連絡して、このままでは調書については一部不同意で、おとり捜査官に対する商品販売記録などについても不同意という対応をとらざるを得ないこと、その場合に裁判所に理由としておとり捜査であることを言わざるを得ないことを連絡し、検察官の対応を待ちました。
 公判日の冒頭、検察官は、証拠の差し替えを申し出、おとり捜査官に関わる書面をすべて削除して提出し直すという行動をとりました。
 これによって、検察官の求刑に変化があったかということについては、弁護人にはわかりませんが、罰金の併科がなくなって欲しいという弁護人の期待は必ずしも実現しませんでした。
 結局、この弁護人の悩みの結果の行動は、おとり捜査隠しをしただけに終わったのかもしれません。被告人を説得して、警察官の行った「騙しのテクニック」について理論的に争うべきところは争うべきであったのかもしれません。弁護人の悩みは、未だに続いています。
 
【村井敏邦さんプロフィール】
一橋大学法学部長、龍谷大学法科大学院教授、大阪学院大学法科大学院教授を経て、現在一橋大学名誉教授。法学館憲法研究所客員研究員。