『痴漢えん罪にまきこまれた憲法学者 警察・検察・裁判所・メディアの「冤罪スクラム」に挑む』(高文研、2012年)について  
2012年9月17日
飯島滋明さん(名古屋学院大学)

 敗戦までの刑事手続、一言でいえば「人権蹂躙」そのものであった。
 警察は正当な理由もないのに身体を拘束する。そして凄惨な拷問を加えるか、長い間放置する。その後、やってもいない犯罪を自白させる。自白の結果として裁判で有罪となる。
 こうした人権無視の刑事手続と断絶するために、現在の日本国憲法では人権規定の3分の1、全規定の約10分の1が刑事手続にあてられている。団藤重光博士の言葉を借りれば、「かような規定が置かれなければならなかったことは、まことに醜態」であり、「18世紀末の憲法であるかのような錯覚」を与えるような規定があるのは、敗戦までの刑事手続への反省のためだ。
 ところがこうした憲法の規定が守られておらず、身体拘束→自白の強要→有罪という、憲法で否定されているはずの戦前のような刑事手続が現在でも行なわれていることを、私は痴漢冤罪事件に巻き込まれることで身をもって知った。
 広島に婚約者とそのご両親と旅行中、私がたまたま一人で歩いていた際、男女6人の高校生の集団のうちの一人の女子高生にぶつかった。それが痴漢とされた。ぶつかった場所から約200m、時間にして30分以上時間も経過し、私が電話をしている最中に複数の広島県警の警察官が痴漢の現行犯だとして私を逮捕した。これが現行犯逮捕だろうか?
 その後の広島東署の取調べでも「お前が犯人だ」「証拠がある」「写真がある」などと警察はうそをつき、あるいは「調書に署名を拒否したことは検察や裁判所に報告する」などと脅して私に自白させようとした。
「小樽文学館」に掲載されている説明書にあるように、1933年2月20日、特別高等警察による拷問で小林多喜二は虐殺された。その後の特別高等警察での取調べは「お前も小林多喜二のようにしてやるぞ、覚悟しておけ」と脅迫することが常態化していた。
※画像をクリックすると詳細が見られます。(PDF)
 私の場合、当番弁護士だった谷脇裕子弁護士、その後に弁護を担当して頂いた足立修一弁護士や石口俊一弁護士による適切かつ精力的な弁護活動などにより、検察の勾留請求を裁判所が却下、処分保留で釈放されて数か月後に不起訴処分になった。そのために多くの痴漢冤罪事件のような、「有罪」という最悪な状況にはならなかった。
 しかし、こうした警察や、捜査機関の発表だけで犯人のような印象を与える報道を実名で行なうメディアの現状を知るにつれ、警察や検察、裁判所、そしてメディアによる冤罪被害に苦しみ、人生を狂わされる人が多くいると実感した。
 虚偽の自白をすればのちの裁判で極めて不利になることは法律を学ぶ者として分かっている私でさえも、家族のことを考えると自白して早く釈放されたほうが良いかもしれないと迷っていたのだ。
 「一人で広島に来た」(『毎日新聞』寺岡俊記者)などという事実でないこと、あるいは「否認しているが酒に酔っていたという」(NHK広島、『読売新聞』)などという、事実を脚色して報道したメディアによって被った被害は甚大だが、メディアはそうした被害に全く責任を取ろうとしなかった。
 日本国憲法を学ぶ者として、こうした現状を座視して良いのか。
 そうした思いで書いたのが本書である。
 まず本書では、私が痴漢冤罪事件に巻き込まれた経緯やその後の状況などを紹介する。
 そして、刑事手続に関する憲法上の理念と、その理念が守られていないために起こった最近の多くの冤罪事件を紹介している。
 そして最後に、「個人の尊厳」(憲法13条)を蹂躙し、人権侵害の最たるものである「冤罪」をなくすために、警察、検察、裁判所、そしてメディアに関する提言を行なっている。
 本書に接してもらうことで、警察、検察、裁判所、そしてメディアの実態を多くの人に知ってもらいたい。

 本書に関してはhttp://www.koubunken.co.jp/0500/0489.htmlを参照。
 なお、水島朝穂早稲田大学教授の「今週の直言」の「痴漢冤罪事件はなぜ起きるか(その1) 2012年2月27日」(その2・完)もあわせて参照されたい。
 
【飯島滋明(いいじま しげあき)さんのプロフィール】
1969年生まれ。名古屋学院大学准教授。専門は憲法学、平和学、医事法。著書・論文などに、上記の他に、『国会審議から防衛論を読み解く』((三省堂、2003年)、前田哲男氏と共著)、「冤罪と国家権力・メディア」(『法と民主主義462号』2011年)、「原子力発電と日本国憲法」(『法と民主主義466号』2012年)など。