日本の刑事裁判について思うこと  
2012年7月17日
今村 核さん(弁護士)
今村さんの近著・『冤罪と裁判』

 私は、日本の刑事裁判の有罪率はおよそ99.9%と非常に高いが、有罪が確定したなかに、かなりの数の無実の人々が含まれている、と思っている。毎年数十名の被告人に対して無罪判決が言い渡されているが、私は、それよりかなり多くの人々が、無実であるにもかかわらず有罪判決を言い渡されているのではないか、という気がしてならない。「冤罪の暗数」の問題だ。この「暗数」を計算する方法はないと私は思う。しかし詳しく知らないが、アメリカでは、ラトナーなどの学者が推計をしているらしい。
 再審開始決定や再審無罪判決が相次いでいる。よく言われるようにこれらは氷山の一角だ。刑期が短かったり、執行猶予が付いたりし、また司法には大いに絶望しているため「何をやってもダメだ」と思って再審請求をすることを諦めたりする人々が存在すると思う。
 もっとも判、検事の人々は、「日本の刑事裁判はほとんど無謬」とでも思っているのかもしれない。私は弁護士登録をして約20年間に、12件の無罪・一部無罪判決を受けたが、そのどれもが本当に苦労をした。「これは簡単だったな」と思ったことはない。
 正直に告白すれば、私が担当して、有罪で確定した事件のなかに「本当は無実だった」と確信している事件があり、ずっと私の心を苦しめつづけている。冤罪事例を担当すると、弁護士業務を圧迫するほか、心が晴れなくなるリスクを高い確率で抱える。
 私は、若いころはどちらかといえば、弁護技術の向上のみを追い求めていたのであるが、ここ数年は「これは制度がわるいな」と思うようになった。じつは、修習生のときからわかっていたことではあったが、何となく、まずもって自分の弁護技術を反省すべきだと思っていたのである。しかしこの姿勢は、ある意味では正しかったが、別の意味では非常に間違っていたと思う。私を含めて弁護士層は、刑事司法制度の改革に対する意識が弱すぎる。私が弁護士登録した1992年は、すでに当番弁護士制度が発足していたので、当時の弁護士会の活動をよく知らず、お叱りを受けるかもしれない。しかしその後20年間、私は、刑事司法制度改革のために、一体何をして来たのだろうか。
 裁判員制度の発足にあたり、私はこの制度で冤罪を減らせるのか、遅ればせながら刑事司法制度のあり方について必死で考えた。そして刑事訴訟法一部改正を含めた現状の裁判員制度の現状の評価は、複眼的に考える必要があると思った。一般市民の司法参加こそ実現したものの、きわめて不十分な証拠開示制度、早期の予定主張明示義務、公判前整理手続終結後の証拠調べ請求の制限、分刻みの審理計画の策定等々、防御権保障のために今後改正すべき手続的な課題は大きい。裁判員であった者の守秘義務の大幅な緩和も必要であろう。裁判員制度の対象事件や、目的規定それ自体にも疑問がある。皮肉な見方かもしれないが、実務運用では、市民参加が「裁判員に負担をかけられない」との名目のもとで、防御権を削っているのではとの危惧もある。
 ただし、一般市民の司法参加が実現したことは、個々の裁判の結果はともかく、トータルでは大きな意味を持っている。世間のなかで日本の刑事裁判に関心を持つ人々が、裁判員に選任されると否とに関わらず、増えるからだ。そうしたなかで、近時一、二審判決を破棄し無罪としたり、差し戻したりする最高裁の判決(2009.4.14防衛医大教授痴漢冤罪事件、2009.9.25福岡ゴルフ場支配人事件、2010.4.27大阪母子放火殺害事件、2011.7.25千葉中央の強姦事件など。特色は、多くの判事が補足意見や反対意見を、自分の言葉で書いていることだ)が出て来ていると思う。そして有罪確定後のDNA再テストの実施による再審無罪、再審開始決定等も、DNA鑑定技術の向上やアメリカのイノセンス・プロジェクトの影響の他、世間の裁判への関心の高まりの流れに関連づけて考えられる。
 だが、現場の裁判官への影響は未だきわめて限定的と考えられる。今後とも、弁護士層が苦渋のなかから問題提起を続けることが、世論と連動して、日本の刑事司法改革を推し進める力となりうると思う。
 
【今村核(いまむら かく)さんのプロフィール】
弁護士。1962年生まれ。東京大学法学部卒業。1992年、弁護士登録(第二東京弁護士会所属)。冤罪事件のほか、労働事件、民事事件などを担当。クレストシャイン号事件、群馬司法書士会事件、保土ヶ谷放置死事件などを担当。現在、自由法曹団司法問題委員会委員長、日本弁護士連合会全国冤罪事件弁護団連絡協議会座長。著書に『冤罪弁護士』(旬報社)、『冤罪と裁判』(講談社現代新書)など。