「みえない手錠をはずすまで」−狭山事件を伝える(その1)  
2012年3月19日
金聖雄さん(映画監督)
―――金さんは狭山事件のドキュメンタリー映画「みえない手錠をはずすまで」の製作をすすめておられます。裁判や司法を市民本位のものにしていく上で、狭山事件(1963年に埼玉県狭山市で女子高校生が殺された事件。石川一雄さんが逮捕、起訴され、無期懲役が確定した。石川さんは無実を訴え、現在も再審請求中。)の裁判も検証される必要があり、金さんの思いやご意見を伺いたいと思います。
 まず、金さんがこの映画の製作にあたるようになった経緯や思いからお聞かせください。
(金さん)
 私はこれまでいろいろな映像作品をつくってきましたが、神奈川人権センターの「人権って、なあに」シリーズの製作にあたったことがあります。その縁で、2010年、石川一雄さんにインタビューすることになりました。その時、石川さんは私のインタビューに対して「我が人生に悔いはなし!」と言ったのです。半世紀近く無実の訴えを認められないできた人生に悔いがないはずない、と私は思い、なぜそのような言葉が出てくるのか不思議でした。そのインタビューの時、撮影スタッフが小さなネジをなくしてしまったのですが、石川さんは私たちと一緒になってネジを探してくれました。石川さんは地面に這いつくばってネジを探してくれました。私たちは石川さんの無実の訴えを聞き、そしてその真面目な姿に触れ、石川さんが事件の真犯人だとは考えられない、という思いを強く持ちました。
 私は石川さんという人とその主張をぜひ映像に残し伝えていきたいと考え、映画づくりをすすめることにしました。

―――金さんは狭山事件の映画づくりを通して司法の世界を垣間見ることになっているかと思います。裁判や司法というものをどのように考え、それはどのように変わってきていますか。
(金さん)
 私は人権問題の映像作品もつくってきましたから、在日朝鮮人やハンセン病患者の裁判などのことも取材を通して少し知っていて、日本の裁判所は人権への配慮が乏しいと不信感を抱いていました。狭山事件の映画製作を始めてからは、刑事裁判もひどいということも痛感させられることになりました。
 最近裁判所が、検察が持っている証拠は弁護側にも開示するように指示するようになってきているようです。しかし、検察側はなかなか全てを開示しません。検察側に被告人が有罪であるという自信があるのであれば、堂々と全てを開示できるはずです。しかし、開示しない。そんなことがまかり通っている司法はおかしいです。
 裁判官は多くの裁判をかかえ、一つひとつの裁判にあまり時間をかけられない、ということも聞きますが、検察官の主張におかしなところを感じても、それを覆すようなことはほとんどありません。

―――狭山事件の場合も他の多くのえん罪事件と同様に、石川さんは別件逮捕され、長期間の取調べで「自白」させられ、裁判で有罪になってしまいました。警察の刑事事件の捜査のあり方についてはどのように考えますか。
(金さん)
 警察が被疑者を密室で過酷な取調べをしていることは問題です。おそらく石川さんが逮捕された頃はこんにちよりももっとひどかったと思いますが、それはこんにちでも続いているのではないでしょうか。

<次回につづく>
 
【金聖雄さんのプロフィール】
映画監督。
主な作品として、「花はんめ」(2004年、監督)、「在日〜戦後在日50年史」(1997年、監督補)、「空想劇場〜若竹ミュージカル物語〜」(2012年、監督)、ビデオシリーズ「人権って、なあに」(全12巻)などがある。
ドキュメンタリー映画「みえない手錠をはずすまで」の公式ホームページはこちら