公正な裁判への願い − 高知白バイ事件をたたかう(2)  
2012年2月20日
片岡晴彦さん(高知白バイ事件の裁判の再審請求人)

前回からの続き

―――片岡さんは、検察官によって起訴されたわけですが、その検察官に対してはどのような思いをお持ちですか?
(片岡さん)
 私は、事故から8か月たって、やっと事故の状況を聞いてくれる場を構えてくれたと、喜び勇んで検察庁に行きました。警察はひどいところだったので、検察には期待したのです。検察の部屋に入ると、担当の副検事と書記官の二人が座って待っていました、。そしていきなり、嘆願書の事を言われ、地元の皆の気持ちが込められている嘆願書なので悪い結果にはならない、そう言われました。事故状況の話になり、実況見分調書の見取り図(図面)を見て、私は本当に驚きました、それは「自分がかかわった事故と違う」という第一印象でした。大変なことになると思い、私は必死に自分の事故の状況を説明しました。しかし、副検事には最初から筋書きが出来ていたのか、私が真実を述べても、事故の事実を言っても、聞こうとしませんでした。私が一方的に白バイに衝突して、3m近く引き摺って停止した、と言うのです。そこは私が主張している停止地点の位置でしたが、どうしてそんなとんでもない、事実無根の実況見分調書が出来上がったのか、私には知る由もありませんが、私はその時、とてつもない巨大な組織が動き始めている、「百獣の王、ライオンに立ち向かう、一匹のアリ」になってしまっていると感じ、恐怖と共に、体の震えが止まらなくなりました。一秒でも早くこの場から立ち去りたい、どのようにしてこの場から逃れることができるのか、そのことばかり考え始めることになりました。なんとか落ち着かなくてはと考え、冷静になるため、私はそこで、毎朝勤行している「般若心経」を唱えることにしたのです。その時の遠い記憶を思い起こしてみると、私のその時の2度目の勤行の途中に、「調書に署名・捺印すれば帰ってよろしい」と言われ、それで私は何も分からずに署名・捺印し、飛び出したのです。飛び出したというよりも、脱出したという形容がぴったりでした。検察はそれほど異質な空間で、息の詰まりそうな、異様な雰囲気の場所でした。
 起訴された私は、検察官というのは実に冷酷で、非現実で、本当に赤い血が流れていることを信じられませんでした。起訴したら100%近い有罪率を誇る現在の検察官は本当に自分の事しか考えないのではないかと、私は被告人になって初めて分かりました。私の検察官に対する印象は「冷酷無比」、この言葉がピッタリです。
 ところで、私は検察官の検面調書に署名捺印したばかりに刑務所に放り込まれましたが、自分はあまりにも無知で、軽率な行動だと思い、刑務所での禁錮一年四か月、自分を諌め、そして、けじめをつけるため勤めました。だけど、結果的には多大な迷惑を家族に押し付けてしまいました。一番つらかったのは面会の事です、。家族は刑務所まで5時間余り高速バスで来て、10分間位の面会で終わり、又5時間かけて帰る、大変だったことでしょう。私には一言も愚痴をこぼさない。それが、逆に辛かったです。面会に来て、元気な顔を見せてくれるのは、本当にうれしく、楽しい時間をくれたのは有り難かったのですが、面会の時の往復の大変だった事が頭から離れません。

―――裁判所ではいろいろな裁判官に出会うことになったかと思いますが、裁判官に対する片岡さんの思いをお聞かせください。
(片岡さん)
 私はこの裁判に関わるまでは、裁判所というところは全く未知の世界で、自分には一生関係のない所という印象でした。そして実際に裁判をしてみて、「推定無罪」とか、「疑わしきは被告人の利益に」そういう言葉は、遠い遠い、昔の言葉になってしまったように感じられます。
 現在は、起訴されれば、「推定有罪」とされてしまいます。調書の改ざんがおこなわれ、デジタルカメラで撮影した画像をパソコンで画像処理して実況見分調書の書き換えがおこなわるなど、捜査機関の不当・不法な状況が野放しにされている、そんな一方的な司法に私は幻滅しています。いま「冤罪」で多くの方々が、亡くなり、多の方々が現在も獄中で、もがき苦しみ、声にならない叫びで訴えて、歯を食いしばり耐え忍び、明日に希望を持って、一日一日を戦っているのです。
 私は、この事故から学んだことは、「捨てる神あれば、拾う神あり」ということです。本当にこの言葉が、ピッタリと私の気持ちに当てはまります。私は警察、検察、裁判所によって、起訴され、実刑判決を下され、生き地獄に突き落とされました。長い長い地獄の底から、這いあがって、這いあがり、真実を求めて再審請求、しかし、国家機関を相手に、一人の人間では戦えない事は明らか、結果は見えています。しかし、真実を闇に葬るわけにはいかないのです。
 私の場合、本当に幸せです。全国の多くの方々から裁判闘争のためのカンパ、激励の手紙、そして、再審に向けての署名等を寄せていただき、多くの皆様が関心を持って見守ってくれています、。最近死語に近くなった「正義」の言葉が、私のブログのコメント欄、私宛の手紙の中にも時々見るようになってきました。この「正義」をもう一度表面に出して、裁判官の方々に呼びかけたい。公明正大、良識のある判決を言い渡していただきたい。
 被告人が、納得し、刑務所に入れられることは当然の事で、よくあることです。しかし、無実の人が一方的に冤罪被害者にしつらえられ、実際に罪を起かし逃げ回まわっている犯罪者がいることがあるのです。私は、それは恐ろしいことだと思います。いくら警察や検察が事件の検挙率を上げたいと思っても、捜査段階で無実の人間を犯人だと決めつけて、自白強要、証拠捏造、そうした果てがないほど、の捜査機関の独断場、やりたい放題、もうやめましょう!
 そして、裁判官の皆さんにも言いたい。皆さんにも家族や親戚の方々がいるのではないでしょうか。家族や親戚の方々に対して、自分が公正な判断をしていると胸を張って言えますか。もう一度、初心に戻り、人間味と情のある、見識のある判断を下してほしいと望みます。

―――司法を市民本位のものにしていく必要性をあらためて感じました。率直なお話しをお聞かせいただき、ありがとうございました。
【編集部から】
*片岡晴彦さんを支援する会のホームページはこちら
*当ページに以前、大野耕さん(片岡晴彦さんを支援する会副会長)の下記の論稿を掲載しました。
「高知白バイ事件とその裁判(その1)」
「高知白バイ事件とその裁判(その2)」