ゴビンダさんを支援する  
2011年3月21日
客野美喜子さん(「無実のゴビンダさんを支える会」事務局長)
再審・無罪を訴えるゴビンダさん

 3月11日午後2時10分、折しも東日本大震災が起きる30分前、成田空港に一人のネパール人女性が降り立ちました。彼女の名前はラダ・マイナリさん(41)。横浜刑務所に服役している夫、ゴビンダ・プラサド・マイナリさん(44)に面会するため、「無実のゴビンダさんを支える会」の招きにより来日したのです。
  今から13年前、日本に出稼ぎに来ていたゴビンダさんは、東京都渋谷区のアパートで東京電力に勤める女性を殺害し所持金を奪ったとして逮捕され、全面否認のまま起訴されました。一審は、「被告人を犯人とするには合理的な疑いが残る」として、刑事裁判の原則どおり、彼を無罪にしました。ところが、検察は引き下がりませんでした。出入国管理法に従えば強制退去させるべき超過滞在者であるゴビンダさんを、検察控訴を理由に帰国させまいとします。その結果、この前代未聞の『無罪勾留』を認めたのと同じ裁判長が、たった4ヶ月で、3年半もかけた一審無罪を覆してしまったのです。
  「一審を破棄し被告人を無期懲役に処す」という主文が読み上げられたとき、ゴビンダさんは、「神様、わたし、やってない、助けてください!」と、法廷中に響き渡るような大声で叫びました。ゴビンダさんは、最高裁に上告しましたが、2003年の上告棄却により、「無実の受刑者」として横浜刑務所に下獄しました。
  「もう一度、裁判官に会いたい!」ゴビンダさんは、誤判からの救済を求めて、2005年、獄中から東京高裁に再審を請求しました。ゴビンダさんの弁護団は、再審の新証拠として「押田鑑定」(現場の遺留精液が事件より20日以上前のものであることを裏付ける科学鑑定)を提出。原審で検察が開示しなかった供述調書や物的証拠の開示を請求しています。ゴビンダさんには、自白や目撃証言などの直接証拠がないため、状況証拠の認定によって有罪か無罪かが争われました。二審東京高裁は、「全ての状況証拠を総合的に評価すれば、被告人が犯人であることに合理的な疑いを入れる余地はない」と言い切っています。しかし、じつは検察が法廷に出した証拠が「全ての状況証拠」ではありません。検察が隠している証拠(現在のような公判前整理手続であれば当然に開示されていたはずの証拠)が出されれば、確定判決の言う「状況証拠の総合評価」は崩れる可能性があります。
  2005年の再審請求以来、東京高裁の裁判長は次々に交代しました。3人目にあたる門野博裁判長(2010年2月退官)は証拠開示に積極的でしたが、後任の岡田雄一裁判長もそのような方針を継承しており、現在、3〜4ヶ月に1回のペースで開かれている三者協議において、証拠開示をめぐる弁護団と検察との攻防が続いています。
  ゴビンダさんは、再審の動向をいつも気にかけ、晴れて無罪になって帰国する日を信じて、過酷な獄中生活に必死で耐えています。彼は、今、「2類の無事故者」という、誰もが認める模範囚なのです。しかし、「なぜ何も悪いことをしていないのに、二度とない人生の大切な日々を刑務所で苦しまなければならないのか」というやりきれなさに、いつも苛まれていると言います。ネパールの家族たちも同じく、この14年間、それぞれに苦しい人生を強いられてきました。老父は息子との再会を果たせぬまま4年前に亡くなりました。
  「いつになったら私たちのところに帰って来てくれるの?」何度も繰り返される妻の問いかけに、ゴビンダさんは「たとえ何年かかっても、必ず再審で無罪になって帰るから、その日を信じて待っていてほしい」と答えるしかありません。
  その日が1日も早く訪れるよう、私たちは、ゴビンダさんと家族を支えながら、再審弁護団への協力、他の冤罪被害者との連携など、幅広い支援活動を続けています。