『日本国憲法と裁判官』  
2010年12月27日
岡崎 敬さん
(弁護士)

 この本は、「戦後第一世代」に当たる裁判官を務めてきた30人の著者が、「今日まで、どのような生活をし、何を考え、どのように裁判をしてきたのかを、ひとまず記録しておく」(編著者の守屋克彦氏・はしがき)書である。
著者は、司法研修所の修習期で2期(1950年裁判官任官)から25期(同1973年)の皆さんで、大半が、私(40期)の20年以上先輩である。しかし、皆さんの語っていることが、一様に、いい意味で「青臭い」のである。
自衛隊が憲法に違反するという判決(長沼ナイキ基地訴訟一審判決)を言い渡した福島重雄氏はもちろん、自白強要・冤罪の温床となる警察留置場(代用監獄)への被疑者の身体拘束に疑問を呈する裁判官や、事件を形式的に処理することなく被害者や敗訴者の身になって考えようとする裁判官の姿が、具体的に語られている。共通しているのは、平和主義を掲げ、一人ひとりの人間を大切にすることを最大の価値としている日本国憲法に忠実に、裁判官としての職を全うしようとしてきた姿である。

  それを、皆さんが、正面から語っているのである。裁判所が日本国憲法の理想とはかけ離れた存在であると感じながら弁護士業務を行ってきた者としては、そのように考えている裁判官がいたことに正直驚きを禁じ得ない。多感な時期に日本国憲法の成立を体験した「戦後第一世代」の皆さんならではの、憲法に対する愛着ともいえる感覚の故なのかもしれない。何人かの方が、日本国憲法の制定の際の自身の感動を語っているが、その感動を自らの職に活かし続けてきたことには、敬意とともに羨ましさすら感じる。
そして、1970年代の青法協(「青年法律家協会」・1954年に設立された憲法擁護、平和と民主主義を守ることを目的とする法律家団体)に所属する裁判官に対する攻撃、司法反動について、半数以上の方が、多かれ少なかれ、自らの思いを語っていることも特筆すべきである。
日本国憲法に忠実に裁判官の職務を行うという、当たり前のことを実践することに対して、理不尽な攻撃が繰り返される。その際の苛烈なまでの攻撃のあり様や任地差別・昇給差別の具体的な状況が、生々しく語られている。まさに、歴史の「証言」としての価値があるといえるだろう。
しかし、理不尽な攻撃に屈することなく、皆さん毅然として、裁判官としてのあるべき姿を全うしている。そして、退官して弁護士になってからもなお、あるべき法律家像を追い求めている方も多く、ただただ感服するばかりである。
この本の出版記念の席に出席させていただいた。皆さんとても明るく、70歳代の皆さん中心の会合とは思えない活気に満ちていた。これを解き明かす鍵は、「昭和46(1971)年4月に再任拒否という不当な処遇を受けた宮本(康昭)さんは13期で、……2代前の町田最高裁長官も13期でした。この大きな違いは、青法協を抜けて裁判所当局に忠誠を誓った者と、青法協を抜けないで日本国憲法に忠誠を誓った者との差」であるという、北澤貞夫氏の言葉にあるように思う。日本国憲法に忠実に仕事をするという、裁判官としての己の職に忠実に生きてきた誇りと自信が、皆さんの元気と明るさの所以であると思うのである。
著者の皆さんは、若くて60歳代、大半が70歳代である。皆さん元気に活躍しておられるが、その経験を語り継ぐことには、自ずと時間的限界がある。「ひとまず」の記録であったとしても、この書は、法律家を志す若い人たち、そして、現に法律を生業としている私たちにとって、貴重な道しるべである。多くの若い法律家、法曹志望者に読まれることを期待したい。

 
【岡崎 敬さんのプロフィール】
弁護士。伊藤塾講師。