裁判員制度施行1年の感想  
2010年8月23日
下澤悦夫さん(元裁判官)

1  2009年5月から裁判員制度が施行された。裁判員裁判は,6名の市民からなる裁判員が3名の職業裁判官とともに裁判体を構成して,重大刑事事件の裁判を担当する制度である。市民が裁判体の構成員として裁判に関与することになる。市民が裁判に関与することは否定されるべきものであろうか。あるいは職業裁判官にのみ裁判を担当させるべきか。裁判員制度の是非をめぐって,これが大きな論争点であった。思うに裁判をする権利,権限は司法権に属するものであるが,その司法権は国の統治権の一部であり,統治権は主権者である国民に帰属するのである。裁判権を職業裁判官に専ら行使させるか,あるいはその一部を国民に直接行使させるかは司法政策の問題である。そのどちらかでなくてはならないというものではない。民主主義の発展に伴い,できるだけ広く国民,市民が国の政治に関与することが好ましいとする観念は拡大してきており,それは世界の趨勢でもある。

2  私は,国民が裁判に関与することによって,裁判が国民,市民により身近なものになるであろうと考える。国民が選出した議員からなる議会が法律を制定し,その法律の執行としての裁判を国民自身が担うわけである。担当する国民にとってその法律の意味や重要性に対する感覚が密接なものとなるに相違ない。その法律の妥当性に対する意識も深まるであろう。さらに法律を遵守しなくてはならないという意識も強いものになると予測される。

3  裁判員制度施行当初には,この制度に対するさまざまな不安や反対の意見が表明され,それがマスコミに報道された。それから1年,全国各地の裁判所において次々に裁判員裁判がなされてきた。施行当初と比べて現在では,裁判員制度に対する市民の否定的な反応や意見は弱まってきているように感じられる。

4  これまで市民が裁判所に出入りすることは稀であり,国民が直接刑事裁判に関与することもなかった。裁判員裁判は国民自身が刑事裁判を担当する初めての経験であり,裁判員が戸惑うこともあるだろうし,いろいろのトラブルが発生することも懸念された。そのための対策や手当がなされるべきは当然である。不慣れな市民が安心して刑事裁判を担当できるように,さまざまなガイダンスや支援も必要である。今度の裁判員裁判の実施に当たりそれなりの対策や措置がとられたことであろうと思う。

5  裁判員制度に対する否定的なあるいは消極的な反応の理由としてさまざまなものがある。その中でも最大のものとして,裁判員裁判において被告人に死刑判決を言渡すことが,市民である裁判員に後々まで大きな心理的負担を負わせることになるであろうとするものがあった。しかし,これまでのところ,裁判員裁判において死刑判決が言渡される事案はなかった。それが裁判員制度に対する否定的,消極的意見を減少させた原因であるのかもしれない。いずれ死刑判決を言渡すべき事案が発生したときに裁判員がどのような反応をするか,そのことをマスコミや市民がどのように受け止めるかは予断を許さない。世論調査によると死刑制度を存続させるべきだとする意見が日本国民の過半数を占めているとされる。そうであるにもかかわらず,国民が死刑判決に関与することに対しては拒否的な意識が支配しているのである。これはある意味では矛盾した姿勢である。国民自らは死刑判決を言渡すことを忌避し,それを職業裁判官に委ねるという姿勢を示しているのである。裁判員裁判の実施につれて死刑判決相当事案が相当数発生した場合には,死刑賛成論者が減少することがありうるのかもしれない。

6  将来のこととして,裁判員制度の普及のためには,時間はかかるかもしれないが,中学,高校で裁判員制度の実施のための各種の指導,教育を行うことが効果的であり,また必要でもあろう。生徒会活動,模擬法廷,ディベート討論,その他の特別教育活動を通じて法に対する考え方やその扱い方を練習させ訓練することが望まれる。

 
【下澤悦夫さんのプロフィール】
1966年、判事補に新任。1976年に判事に再任。2006年、岐阜家裁判事を定年退官。
判事在任中に日本裁判官ネットワークの設立に参加。