『裁かれる者』  
2010年5月3日
沖田光男さん(『裁かれる者』著者)

―――沖田さんは痴漢をしたという容疑で逮捕され、21日間も勾留されることになりました。不起訴になったわけですが、逮捕・勾留した警察官・検察官と被害を申告した女性に賠償を求めたところ、裁判所で逆に痴漢の事実があったと認定されるなど不本意な思いをされました。そして、沖田さんはいまなお、最高裁でたたかっています。司法というものの現状を知る上でも沖田さんの裁判とたたかいは注目される必要があると思います。
沖田さんはこの事件・裁判・たたかいを通じて、初めて法律家や司法というものに接することになりましたが、法律家や司法というものに対する印象などをお聞かせください。
まずは弁護士に接することになったことからお聞かせください。
(沖田さん)
私は電車の中で、女性に対して、携帯電話での通話をやめるよう注意しました。すると、その女性が私は痴漢であると主張し、私は警察官によって逮捕されてしまいました。私は痴漢などしていませんから、無実を主張しましたが聞き入れられずに勾留されました。
私は当初、弁護士に弁護を依頼することを考えませんでした。私は無実であり、すぐに釈放されるはずだと思っていたからです。また、弁護士に弁護を依頼すると50万円とか100万円が必要だと思っていたので、この程度の事件でそんな費用をかける必要はないと思っていました。

―――沖田さんは逮捕された後、検察官の取調べを受けました。最終的に不起訴となったわけですが、ひどい取調べを受けたことから、その後検察官などの責任を追及する国家賠償を請求しました。検察官とはどのようなやりとりがあり、それをどのように感じていますか。
(沖田さん)
私は逮捕された後、私の家族が手配した弁護士から「犯行を否認したら釈放はない」と言われ、びっくりしました。私はやってないし、やったという証拠もないわけですから。そして、私が起訴されるかどうかは検察官次第だということがわかり、なんとか起訴されないよう、必死になりました。
弁護士から「検察官はいろいろ聞いてくるが、しゃべったことが証拠になるから、しゃべってはいけない」と助言を受け、私は基本的に何もしゃべりませんでした。検察官は、直接的には事件に関係ない世間話などをしながら、なんとか私にしゃべらせようとしました。一方で、私を怒鳴りつけて、しゃべらそうとしました。また、私に「証拠はあるんだ」とも言って追及しました。私はドキッとしました。私は決して痴漢をしていないのに、証拠があると言われると、やはり不安に感じるわけです。隔離された部屋で追及されると不安がどんどん増すことになります。それでも私は無実ですから「自白」せずにました。一日の取調べの最後には、検察官から「覚悟しとけよ」と怒鳴りつけられました。
警察官・検察官は無実の私に罪をなすりつけ、逮捕し、21日間勾留しました。不起訴にはなりましたが、何の謝罪も補償もありませんでした。そこで私は逮捕・勾留の不当性を主張し、国家賠償を請求することにしたのです。
この国賠訴訟では、私を逮捕した理由となる、私の「行為」に関わる資料が当然重要となります。そこで、裁判では検察官に対してその資料の開示を請求しました。ところが検察官は、その資料は廃棄してしまったというのです。本当に廃棄していたのかどうかはわかりませんが、証拠隠滅といわれても仕方ないでしょう。検察官の態度には怒りがこみ上げてきました。

―――検察官から威圧的な取調べを受けたということですが、国賠訴訟で接することになった裁判官たちはどのように対応し、その仕事をどのように感じていますか。
(沖田さん)
私は不起訴になったのに、国賠訴訟の第一・二審の裁判官は、なんと私が痴漢をしたという事実認定をしました。びっくりでした。
私が痴漢をしていないということは、本人である私自身がわかっています。ですから、裁判官も間違うんだ、ということがはっきりとわかりました。同時に、なんら証拠も説得力もない理由で私が痴漢行為をしたという事実認定をしたことに激しい怒りを覚えました。
私は電車内での携帯電話をやめるよう注意した女性から痴漢をしたと訴えられました。したがって、その時の実際の電車内の様子を検証する上で、その女性の電話の相手の証言が重要となります。そこで、私と弁護士が電話の相手であった男性を証人として呼ぶよう裁判官に求めました。しかし、裁判官は認めませんでした。
被害を受けたという女性が主張する被害部位は、私とその女性の身長差からしてありえないのに、裁判官は女性の言い分を受け入れました。
私の裁判官たちへの信頼の気持ちはどんどん薄れていき、愕然とするようになっていきました。

―――沖田さんの裁判では、検察官・警察官に対する責任追及は受け入れられませんでした。一方、最高裁は沖田さんの痴漢行為は認定できないとし、被害を主張した女性に対する沖田さんの賠償請求について、高裁に差し戻しました。ところが、差戻し審は女性の被害の主張は決してウソではないと判断し、いま沖田さんは第二次上告をされています。
この裁判は異例の展開をしているわけですが、日本の裁判を改革していくための課題について、昨年からはじまった裁判員制度のことも含めて、沖田さんのお考えを聞かせてください。
(沖田さん)
裁判は事実と証拠によってきちんと検証するところからはじめられ、最終判断が下されなければなりません。ところが実際の裁判では事実がきちんと検証されずに、刑事裁判においては起訴された事件の99.9%が有罪となっています。そのような状況の中で裁判員制度が取り入れられても効果があがらないのではないかと思います。裁判に市民が参加することが、プロの裁判官による裁判の問題点を覆い隠すことに利用されてしまうことも懸念されます。裁判員制度は事実認定や量刑について、プロの裁判官と市民の裁判員が多数決で決めますが、市民が全員一致で事実認定をする陪審制度のようなものに発展させる必要があると考えます。
私は裁判官や裁判所が市民からもっと監視されなければならないと思います。私の場合もそうでしたが、少なくない裁判官は事件をきちんと吟味せずに、勾留などの令状の申請をベルトコンベアー式に認めているように聞きます。それはおかしいです。
市民が裁判官を監視する方法としては裁判傍聴も有効です。多くの市民に裁判を傍聴して欲しいと思います。

―――日本の司法の現状の一端をリアルに提示していただきました。ありがとうございます。沖田さんの裁判には引き続き関心を寄せていきたいと思います。

 
【沖田光男さんのプロフィール】
1999年に痴漢の容疑で逮捕され、不起訴後に国家賠償訴訟をたたかっている。そのホームページはこちら
2010年、『裁かれる者 −沖田痴漢冤罪事件の10年』(かもがわ出版)を刊行。