医療過誤訴訟と司法改革  
2009年10月26日
五十嵐裕美さん(弁護士)
  私は、弁護士登録1年目から医療問題弁護団という東京を中心とする患者側弁護士グループに所属し、専ら患者側で医療過誤事件を扱ってきた。
私が弁護士になったときからこれまでの十数年の間に、医療過誤訴訟は司法改革および医療をめぐる社会的状況を受けて、時代とともに変化してきたように思える。

平成13年6月12日、司法制度改革審議会は報告書を発表したが、その中で、いわば裁判長期化の犯人の1人として名指しされたのが医療過誤訴訟である。「専門的知見を要する訴訟」として、その長期化は大きな問題とされ迅速化のための様々な提言が行われた。実際、私が弁護士になったころには、医療過誤訴訟は1審5〜7年と言われており、私自身、1審に足かけ8年もかかった事件も経験している。
この報告書を受けて、民事訴訟法上では、平成15年改正で専門委員制度の導入や鑑定人質問の創設などの対応がなされた。
他方、実際の医療過誤訴訟の現場で改革に大きな影響を与えたのは、医療集中部の登場である。東京地方裁判所では、平成13年4月に民事部のうち4か部が医療集中部となった。医療集中部では審理方法の工夫として、診療経過表や各種一覧表の作成、プロセスカードの導入、集中証拠調べの実施、計画審理の作成・実施、カンファランス鑑定の導入など、様々な試みがなされた。東京地裁では、その運用は改良されながら定着し、現在、1審の審理期間は2年弱となっている。
医療集中部は、現在では、東京のほか、横浜・さいたま・千葉・大阪・名古屋・広島・福岡・仙台・札幌の各本庁に設置されている。
こうした審理方法の工夫とともに、各地では、地域の医療機関と裁判所・弁護士会の協議会が設けられ、医療界の裁判への協力体制の強化、および、医療界と法曹界の相互理解を深めようという動きにもつながった。
 他方、社会に目を移すと、平成11年に横浜市立大学病院での患者取り違え事件、都立広尾病院での消毒液の誤投与事件という2つの大きな事件がおき、医療過誤への社会の関心は一気に高まっていった。医療界では、医療安全に関する意識が高まり、事故調査の在り方や教訓を医療安全に生かす方策などについて様々な議論が活発になされた。法曹界でも、医療過誤をめぐる法律相談の数は増加し、裁判所の新受件数も増加の一途であった。
この流れを逆転させたのが、平成15年の慈恵医大青戸病院の事件で、医療過誤で医師が逮捕されるという異例の事態に医療界は騒然となった。さらに、決定打を与えたのは、平成18年の福島県立大野病院の事件である。従前より紛争が多いために医師のなり手がいないと言われた産婦人科の事故だったこともあり、医療界は、担当医の逮捕に反発を強めた。このころから、マスコミでは「医療崩壊」という言葉が日常的に散見されるようになり、医療費抑制政策の問題もあって、現場の医師たちの中では、『やっていられない』という空気が漂うようになった。
こういった空気は、協議会などを通じて医師らと継続的に接点を持つようになった裁判所にも影響を与えているように思われる。実際、医療過誤訴訟の認容率(原告が勝訴する確率)は平成15年には44.3%を記録するが、それから低下傾向が著しく平成20年にはついに26.7%にまでなっている。ちなみに、地裁民事第一審通常訴訟の認容率は84.2%である。
患者側弁護士の皮膚感覚としても、主張を裁判所に認めてもらうための立証のハードルは年々あがっているのではないかと感じられる。
 医療過誤裁判が、個々の事件の被害回復を目的としていることは、もちろんである。しかし、それにとどまらず、判決で述べられたこと、とりわけ最高裁の判決で述べられたことは、一定の医療水準を社会に示すものとなる。
裁判官には、医療水準を判断するに際し、医療慣行に左右されず、医学的知見に基づいた科学的な判断をして欲しい。それは、ある意味、医療の素人である法律家が判断する常識的な医療水準である。
もちろん現実の医療には、人的物的な面で限界はある。しかし、司法の社会に対する役割・責任として、裁判所は、積極的に自らの判断を示してほしい。そう感じながら、仕事をしているこの頃である。
 
【五十嵐裕美さんプロフィール】
東京都出身 平成6年弁護士登録 医療問題弁護団副幹事長
著作:「医療事故の法律相談(全訂版)」2009年学陽書房(共著)、「専門訴訟大系1 医療訴訟」2007年青林書院(共著)など