傷害致死事件の裁判を傍聴して   投稿者:H・Oさん(会社員) 2010/7/26
 2010年7月21日、東京地裁での裁判員裁判を傍聴した。事件は、若い女性が恋人とともに自分の娘(1歳10ヶ月)を虐待し死亡させたという内容で、公判第一日目のこの日、その基本的事実を被告人も認めた。争点は量刑であり、冒頭弁護人は刑に執行猶予を付すことも含めて検討すべきと陳述した。
この日は被告人の犯行の経緯、犯行の残忍さなどについて検察官が明らかにする場になった。第二日目には情状証人が召喚される。ここで被告人の情状についての判断をめぐって弁護側と検察側の攻防が展開されるのだろう。おそらくこの公判の山場となる。
さて、裁判員裁判の傍聴は初めてとなった。10年以上前に刑事裁判を傍聴した時とは大違いで、裁判の内容、裁判の進行が傍聴人にもよくわかるようになっている。検察官は裁判員にもわかりやすく事件を説明し、裁判長も公平な立場で審理をすすめようとしており、被告人に対しても丁寧な言葉遣いで接していた。市民にわかりやすい司法になってきている。裁判員がみな真剣な表情で公判に臨んでいたことも印象的で、司法への国民参加の意義を強く感じた。
今回傍聴してみて、この他に2点指摘したい。一つは「裁判の公開」についてである。この日検察官は裁判官・裁判員にプリントを配り、そして大きなスクリーンに必要なことを表示しながら説明していたが、傍聴人にはプリントは配られず、また傍聴人はスクリーンに映される画像全てを見ることはできなかった。関係者のプライバシー等を配慮して対応すべきことがあるのだろうが、説明抜きに傍聴人への情報提供が制限されており、不満を感じた。
もう一つはこの裁判の内容に関してである。この裁判の冒頭に弁護人は、被害者の死に直結した暴行は被告人の恋人によるものだったというような陳述をした。そうだとすれば、そもそもこの被告人を傷害致死罪で有罪にすることはできるのであろうか。弁護人はどのような主張を展開し、裁判官・裁判員はどう判断するのであろうか。市民が裁判を監視する重要性をあらためて感じた。