書籍『無罪請負人―刑事弁護とは何か?』 筆者:H・T
2014年5月12日
 
 著者の弘中惇一郎弁護士は、厚生労働省の村木厚子さんの事件など難しい刑事事件の弁護人として数々の無罪判決を得、「無罪請負人」と称されています(本人は呼称を返上したいが出版社の意向で止むなくこのタイトルになったとのことです)。

 本書の特徴は第1に、有罪率99.99%という先進国で異様に高い刑事司法の現実を具体的かつ詳細に分析していることです。逮捕、起訴した以上は自白させるまで延々と警察や拘置所に拘留する「人質司法」、冷暖房もなく接見も極度に制限され拷問ともいえる取り調べ、真相究明よりも有罪とすることを最優先する逆立ちした組織の論理、有罪とする方向で「作文」される検察官調書等々、市民社会の常識では考えられない数々の実務の列挙は、これううほどまでかと驚かされます。

 第2に、時代を通じて変わる国策捜査の類型やメディアと刑事事件の「共犯関係」を考察していることです。国策捜査の事例として、@大阪と東京の特捜部のライバル意識から生まれた村木さんの事件、Aある政治的意図をもって世論を動かすために有力な政治家を狙い打ちした小沢一郎氏や鈴木宗男氏の事件を挙げています。いずれも著者が担当し無罪になりましたが、Aの事例はマスコミを利用した国策捜査で世論を形成し政治家の影響力に決定的なダメージを与え日本の政治を特定の方向に導く「国策」には成功しました。
 マスコミが捜査当局と一体となり、むしろ主導した国策捜査として、「ロス疑惑事件」(三浦和義被告人)と「薬害エイズ事件」(安倍英被告人)は刑事事件の鉄則を無視した報道の歪みが冤罪を生んだことを深刻に反省させます。これらも著者が担当して無罪となりましたが、2人とも痛ましい最後を迎えたとのことです。三浦氏は獄中から530件の名誉棄損訴訟を起こし、大半が勝訴ないし勝訴的和解となりました。

 第3に、検察・警察が民事不介入原則から踏み出した債権回収という国策に弁護士が協力するようになったことについて、国家から独立して国民の人権を擁護する在野法曹の在り方からどうなのかと問題提起しています。

 起訴されたら有罪ともいえる刑事司法、しかも検察が総力を上げた国策捜査において著者が多くの無罪判決を引き出してきたのは、事件の事実関係を丁寧に見てきたことが大きな要因になっていることが理解できます。事実を丁寧にみていくと、犯罪とされた行為も私たちの日常と地続きの場合が少なくなく、警察が摘発し、マスコミが「悪い」と決めつけるから「悪くなる」のであると。著者は、人間というものの弱さに対する寛容さが薄れ、自己責任の名のもとに競争社会から落伍した人を容赦なく見捨てて集団で痛めつけるいじめの構造という日本人全体の問題が背景にあると述べています。この大局的な視野や人間に対する優しい眼差しも無罪判決の背景にあることを感じさせます。現代社会における政治、経済、社会、マスコミ、世論の動きの中で弁護士のあり方を考えさせるとともに、私たちは自ら「犯罪者」という被害当事者になりかねず、また推定無罪という刑事事件の原則を主体的に学ばないと意識を操作されてしまうことを気付かせてくれます。
 
【書籍情報】
2014年4月、角川書店から刊行。編者は弘中惇一郎弁護士(元自由人権協会代表理事)。定価は本体800円+税。