論稿「新たな構築 原発裁判の今」 筆者:H・T
2013年4月1日
 著者は、脱原発弁護団全国連絡会の事務局長で、原発裁判の全体を俯瞰し、福島原発事故の責任の一端は裁判所にもあると述べています。原発訴訟は、1973年の原発設置許可取消訴訟以来数多く提起されてきましたが、すべて原告側が敗訴しました。ようやく2003年になって、名古屋高裁金沢支部における高速増殖炉もんじゅ設置許可無効確認訴訟で原告側が勝訴し(但し、2005年に最高裁で破棄)、2006年には金沢地裁の志賀原発第2号機運転差止訴訟で原告側が勝訴しました。司法も原発の危険性に耳を傾けつつあるのではないかという期待が生まれました。しかし、2007年の浜岡原発訴訟では原告ら勝訴の予想が強かったにもかかわらず、敗訴となりました。「停電時非常用ディーゼル発電機の2台同時起動失敗等の複数同時故障は想定する必要はない」など、行政追随の判決でした。

 この判決を境に、原発神話がますます強固になり、福島原発事故の前に継続していた主な訴訟は5つだけになったと解説しています。

 福島の事故は再び、市民や法律家を奮い立たせました。2011年7月には脱原発弁護団全国連絡会が発足し、現在では32の訴訟が提起され、ないし準備中です。

 後半では、注目されている浜岡原発訴訟の争点が整理されています。

 全国の原発訴訟の一覧表も資料として添付されています。

著者は弁護士の只野靖氏。「法と民主主義」2013年3月発行号所収