論文「なぜ司法は原発をとめられなかったのか」 筆者:H・O
2012年3月12日

 石川県北陸電力志賀原発2号機の運転差止め請求事件において、その第一審裁判長として住民の訴えを認めた井戸謙一さん(現在は弁護士)の論文です。
 原発の設置許可や運転の差止めを求める住民の訴えは行政訴訟・民事訴訟となります。そこでの論点は多岐に及びますが、井戸さんは「安全の立証はどちらがするのか」、原告=住民側なのか、被告=電力会社や国などなのか、という点に着目し、これまでの原発関連裁判の経過を整理しています。それは、これまでの裁判所は、最終的な立証責任は原告側に負わせることになってきたということです。原発は安全だという電力会社や国の主張に対して、その判断は不合理であることを住民側が立証できなければ勝訴できない、という判断枠組みになってきているというのです。いずれの裁判でも、電力会社・国側が専門知識と関連資料の量で圧倒しているでしょうから、それでは住民側はなかなか勝てない、ということでしょう。
 原発の安全性についての判断には高度の専門性が必要です。したがって、少なくない裁判官が、多くの専門家が関わって原発の設置と運転がすすめられたことに異議を申し立てづらいと判断しがちのようです。その結果上記のような枠組みが採用されるようになってきたのではないか、と井戸さんは問題提起します。そして、原発は安全だと唱えてきた専門家の誤りが明らかになったいま、これからの裁判所はそれを見抜く必要があると説きます。
 原発問題においても司法が真に国民の期待に応える役割を果たすべきと力説する論文です。

 
【論文情報】
森英樹・白藤博行・愛敬浩二編『3.11と憲法』(2012年3月、日本評論社から刊行)に所収。筆者は井戸謙一さん(元裁判官。現在弁護士)。