書籍『人が人を裁くということ』 筆者:H・O
2011年3月7日
 2009年に裁判員制度がスタートし、順調に進んでいるとの評価の一方で、裁判員制度に対しては様々な疑問もあります。素人にも適切に人を裁くことができるのか、法律の専門家である裁判官に任せたほうが良いのではないか、裁判員になることは市民にとって大きな負担だ、市民を裁判に参加させるのは裁判所が判決の正当性を高める目的のためだ、市民の裁判への参加で被告人に重罰を課す傾向が強まるのではないか、等々です。
  この書は、刑事裁判に市民が裁判員として参加するにあたって、裁判官だけによる裁判と市民も参加した裁判のどちらがよいのか、そもそも人は人を適正に裁けるのか、ということなどを根源的に問います。
  著者は、犯罪捜査や裁判をめぐる警察官や検察官、陪審員、裁判官などの思考パターンの傾向・特徴の冷静な分析を試みています。それは社会心理学者ならではのもので、説得的です。そして、事件の真実というものは、裁判官でも市民でも本当のところまではわからないということ、などを自覚する必要性を説きます。
  司法への市民の参加をめぐる歴史的経緯を整理していることもこの書の特徴だと思われます。司法への市民の参加は市民革命によってイギリス、アメリカ、フランスなどで導入されました。イギリス・アメリカでの導入とフランスでの導入の理由は全く同じではありませんが、共通していえることは、犯人を裁き刑罰を課すという権力の行使を時の特定の権力者に与えるのではなく、その権力は市民が行使すべきという考え方でした。それらの国の市民は自由と権利を勝ちとる際に、司法権も得たのです。
  そのような歴史を持ちえていない日本においては、司法を市民のものにしていく課題はまさにこれからなのだと感じさせられます。
  犯罪、刑罰、刑事手続きなどをめぐる問題状況を抉り問う書です。
 
【書籍情報】
2011年2月、岩波書店から岩波新書として刊行。著者は小坂井敏晶・パリ第8大学心理学部准教授。定価は756円(本体720円+税)。