【村井敏邦の刑事事件・裁判考(81)】
大量の死刑執行
 
2018年10月3日
村井敏邦さん(一橋大学名誉教授)
オウム真理教事件死刑確定者の死刑執行
 本年7月6日と7月26日、地下鉄サリン事件等で死刑が確定していたオウム真理教事件の13名の死刑確定者の死刑が執行されました。
 いわゆるオウム事件の刑事裁判は、本年1月25日、審理が係属していた最後の事件について有罪判決が確定したので、この日をもってすべて終結しました。
 この時まで、受刑者たちは、東京拘置所に収監されていましたが、3月14日、7人が、死刑執行設備を持つほかの5拘置所(宮城刑務所仙台拘置支所・名古屋拘置所・大阪拘置所・広島拘置所・福岡拘置所)へ移送されました。
 新聞各社は、この移送は死刑執行の準備のためだろうとしていましたが、法務省は、「心身の状態などを考慮して、7人を移送対象に選んだ」と発表し、移送は「共犯者を分離するためで、執行とは関係ない」という見解を示しました。
 しかし、同年7月6日、まず、7名の死刑が執行され、20日後の7月26日、残っていた6名の死刑が執行されて、これによってオウム真理教事件の死刑確定者全員の死刑執行が完了しました。

大逆事件以来の大量執行
 同一事件での13名の死刑執行は、12名の死刑が執行された幸徳秋水らの大逆事件以来です。大逆事件では、24名の対して死刑が言い渡されましたが、うち12名は恩赦によって減刑されています。近年は、死刑事件について恩赦が行われるということはありません。オウム事件においても、裁判で言い渡されたとおりの死刑が執行されました。

死刑と恩赦
 大逆事件については、死刑の言い渡しを受けた人が恩赦によって無期刑などに減軽されています。この恩赦は、減刑です。恩赦には、大赦、特赦、減刑、刑の執行免除、復権があります。大逆事件では、このうち、減刑が適用されたのです。
 近年の恩赦は、昭和天皇逝去(89年)、天皇即位の礼(90年)、皇太子結婚(93年)に当たってのものがありましたが、死刑確定者に対する恩赦はありません。昨年の犯罪白書によると、2017年には、刑の執行の免除が5人、復権が24人と恩赦が実施されています。
 恩赦が大いに行われたのは、平安時代、とくに聖武天皇の時代です。死刑に対する恩赦も盛んに行われています。続日本紀によって、いくつかの例を示しましょう。
 聖武天皇は、神亀元年(724)に即位しましたが、その年の10月16日に「死罪以下の罪人を許した」とあり、翌年の12月21日に、次のような記事があります。
「死んだ者は生き返ることができない。処刑された者はもう一度息を吹き返すことがない。これは古典にも重要なこととされたことである。刑の執行に恵みを垂れることがなくてよかろうか。今、行部省の奏上した在京および天下の諸国の現に獄につながれている囚徒のうち、死罪の者は流罪に、流罪の者は徒罪に減刑せよ。徒罪以下の者については、行部省の奏上のようにせよ。」
 また、天平6年(734)7月12日には、次のような記事があります。
「朕が人民をいつくしみそだてることになってから何年かたった。しかし教化はまだ十分でなく、牢獄は空になっていない。夜通し寝ることも忘れて、このことについて憂えなやんでいる。この頃天変がしきりに起こり、地はしばしば振動する。まことに朕の教導が明らかでないために、人民が多く罪に落ちている。その責任は朕一人にあって、多くの民に関わるものではない。よろしく寛大に罪を許して長寿を全うさせ、きずや汚れを洗い流し、自ら更生することを求め、天下に大赦を行う。ただし八虐や故意の殺人、謀殺の実行犯、別勅による長期の拘禁者、強盗で人を傷つけた者、官人・史生の違法の収賄、管轄する所から盗んだ者、偽って人を死んだことにしたり、良人をさらって奴婢としたり、強盗・窃盗など、通常の赦で許されないものはこの対象に入れない。」
 翌天平7年(735)5月23日にも、同様の詔が見られる。
「朕は徳の少ない身でありながら万民の上に君臨しているが、自身は政治の要諦に暗く、まだ人民に安らかな暮らしをさせることができない。この頃災害や異変がしきりに起こって、朕の不徳を咎められる徴候が度々あらわれている。戦々恐々として責任は自分にあることを感ずる。そこで死刑囚の罪をゆるめ、困窮の人民をあわれみ温い恵みを施し、天下に大赦を行おう。天平7年5月22日の夜明けより以前の死刑囚以下、皆悉く赦免する。」
 仏教の影響が強くあることは明らかです。しかし、犯罪が多発するのは、自分の行う政治が悪いせいだという自省が、当時の統治者にはあったということが重要です。現在の政治家に、この謙虚さがほしいですね。その謙虚さの表れが、恩赦だと思うならば、死刑に対しても、恩赦があってもよいのではないでしょうか。

なぜ今、大量執行?
 オウム事件の死刑確定者13名に対する死刑執行はどういう意味を持っているのでしょうか。
 2020年の東京オリンピックを前にして、テロの恐れのあることを残しておきたくないということで、執行を急いだという観測があります。また、同年には国連犯罪抑止会議が東京で開かれ、死刑を含む刑のあり方が議論されることになっています。その場で日本の死刑についても話題に上がり、ヨーロッパ諸国からの批判が起きる可能性があるので、そこまでオウム事件の受刑者たちの執行を延ばしたくなかったのではないか、という見方もあります。
 しかし、今回の大量執行に対しては、国際的にも奇異の目で見られており、批判は避けようがないでしょう。
 被害者の側からも、早急な執行は、事件を闇に葬り去ったようなもので、真相究明にかえってマイナスだという反応が出ています。いまだ残るオウム真理教の信者の中からは、死刑執行された人たちを殉教者として称える動きさえあることが指摘されています。
 死刑存置者の中からも、教祖一人だけの執行に留められなかったかという声があります。執行された人の中には、再審請求中の人もおり、また、真摯に事件に向き合って、事件の意味を考えている人もいます。このような人たちを一挙に抹殺することへの疑問があるのです。
 いずれにしても、今回の大量執行には、どの面から検討しても、否定的回答しか出てきません。
 
【村井敏邦さんプロフィール】
一橋大学法学部長、龍谷大学法科大学院教授、大阪学院大学法科大学院教授を経て、現在一橋大学名誉教授。法学館憲法研究所客員研究員。