【村井敏邦の刑事事件・裁判考(63)】
いまだ残る拷問
 
2016年11月29日
村井敏邦さん(一橋大学名誉教授)

 「<法医学教授>「勾留中に暴行死の疑い」奈良県警を告発」という記事が、11月15日の新聞各紙に載りました。毎日新聞 11/15(火) 10:56配信の記事(塩路佳子記者の署名入り)では、以下のようです。

 「2010年2月に奈良県警が逮捕し、勾留中に死亡した男性医師(当時54歳)について、司法解剖結果などを調べた出羽厚二・岩手医大教授(法医学)が15日、遺体の状況から取り調べの際に暴行を受けた可能性があるとして、特別公務員暴行陵虐致死容疑で県警に告発状を提出した。容疑者は不詳とし、特定していない。
 男性医師は、医療法人雄山会「山本病院」(奈良県大和郡山市、廃院)で06年に起きた男性患者死亡事件を巡り、業務上過失致死容疑で10年2月6日に逮捕された。県警桜井署で勾留中の同25日に死亡し、司法解剖で死因は急性心筋梗塞(こうそく)とされた。
 告発状で出羽教授は、解剖結果では男性医師の遺体の足や頭などに皮下出血があり、打撲傷だと指摘。取り調べ中に暴行を受けた傷が原因で腎不全などを発症し、死亡したと訴えている。
 医師の遺族は13年2月、県警が勾留中に適切な治療を怠ったなどとして県に約9700万円の損害賠償を求めて提訴し、奈良地裁で係争中。出羽教授は、07年の大相撲時津風部屋の力士暴行死事件で、力士を解剖して「多発外傷によるショック死」と鑑定し、当初病死とした愛知県警の判断を覆したことで知られ、今回は遺族側の依頼で調査した。
 奈良県警は「暴行は一切ない。足の出血は留置場で座る際に床で打ったことが原因」などとしている。」

 この記事を見て、衝撃を受けたのは私一人ではないでしょう。内出血の状態は、戦前の小林多喜二の拷問死と同じです。今でも、このような拷問が行われている!

 「蟹工船」などの名作を残した作家小林多喜二が警察で拷問を受け、壮絶な死を遂げたことは、だれ知らないことはない事実である。

多喜二の死の模様

江口渙「作家小林多喜二の死」より

 「・・・…やがて警視庁から特高係長中川成夫が、部下のテロ係りの須田巡査部長と山  口巡査を引きつれてやって来て、訊問にとりかかった。すると小林は今村を省みて、『おい、もうこうなっては仕方がない。お互いに元気でやろうぜ』と、声に力をこめていい放った。
 それを聞いた特高どもは『何を生意気な』というが早いか、中川警部の指揮の下に、小林を寒中まる裸にして、先ず須田と山口が握り太のステッキで打ってかかった。築地署の水谷主任、小沢、芦田などの特高係四五人が手伝った」
 拷問のすえに、多喜二は当時築地署に拘留されていた岩郷義雄の第三房に「二三人の特高に手どり足どり担がれて」「まるでたたきつけるようにして投げ込まれた。」
 その時の多喜二の様子を同房の岩郷義雄は、次のように記しています。
 「激しい息づかいと呻きで身もだえするこの同志は、もはや起きあがることすらできなかった。『ひどいヤキだ・・・…』同房人たちは驚いた。・・・…彼の着物をまくって見た。『あっ』と私は叫んだ。のぞきこんだ看守も『おう・・・…』と、うめいた。・・・・…私たちが見たものは『人の身体』ではなかった。膝頭から上は、内股といわず太腿といわず、一分のすき間もなく一面に青黒く塗りつぶしたように変色しているではないか。寒い時であるのに股引も猿股もはいていない。さらに調べると、尻から下腹にかけてこの陰惨な青黒色におおわれているではないか。」

2010年の事件と多喜二の死との共通性

 多喜二の遺体は、外見には、特別の変わりはなかったようですが、衣服の下、とくに下半身部分、下腿部は青黒く腫れ上がっていたということです。2010年の事件でも告発した法医学者の言によると、遺体の頭部や足に皮下出血があり、打撲によるものと見られるということです。足部の打撲から腎不全を起こし死亡したとしています。
 衣服で隠れている部分に激しい暴行を加えることによって、ショック死させたのではないかというのが、告発者の見込みです。この点で多喜二に対する拷問との共通性があります。もちろん、多喜二に対する拷問は、筆舌に尽くしがたいものがあったと思われ、その程度においては、2010年の事件とは差があるかもしれません。しかし、取調べの際の暴行という点では、同じものがあるようです。
 そして、このような事件が問題になった時の警察の対応も、「取調べ中に暴行はなかった」というもので、まるで判を押したように同じです。

拷問と憲法

 憲法36条は、「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。」と規定しています。これは、戦前には多喜二に対して加えられたような拷問が頻繁に行われたことへの反省の上で規定されたのです。ここにある「絶対に」という文言は、非常に意味があるのです。
 ところが、自民党の憲法草案では、「拷問は禁止する」とだけされ、「絶対に」という文言が落とされています。そこには、場合によって、拷問が必要な場合があるという含みがあるように思えるのは、筆者の思い過ごしでしょうか。

 
【村井敏邦さんプロフィール】
一橋大学法学部長、龍谷大学法科大学院教授、大阪学院大学法科大学院教授を経て、現在一橋大学名誉教授。法学館憲法研究所客員研究員。