【村井敏邦の刑事事件・裁判考(58)】
冤罪は防止できるか:刑訴法改正について
 
2016年5月27日
村井敏邦さん(一橋大学名誉教授)

盗聴の拡大を含む刑訴法改正法が成立しました。そこで、今回は、急遽、これについて書くことにします。

法案段階での意見

 この改正法案が国会に提出されたのは、昨年(2015年)3月13日です。それからちょうど1か月後の4月13日のこの欄で、刑事免責と司法取引とに絞って、取り上げました。そこでは、ロッキード事件における最高裁判所の判決の中で問題とされた「国民の公正感」との関係について、この2制度の採用について疑問を示しました。
 第189国会に提出された法案は、衆議院での採決が行われた段階で、継続審議となり、次の第190国会の参議院に付託されて、本年5月20日に可決後、衆議院に再付託され、同月24日可決されて成立しました。
 この法律には、上述の司法取引、刑事免責の導入だけではなく、盗聴の拡大が問題の捜査手法として盛り込まれています。メインテーマである取調べの録音・録画も一部の事件に限られており、問題点山積みです。そうした内容上の問題については、別に論じる予定ですので、今回は、改正法成立までの経過を振り返って、以下の諸点についての問題について考えていきます。

提案の動機と実際の内容の食い違い

 第一は、そもそもの提案の動機と実際に提出された法案の内容との間に、大きな食い違いがあることです。
 この法案のもともとのきっかけは、厚生省の村木局長事件である。障害者団体向けの郵便料金の割引制度の不正利用があったとして、障害者団体・厚生労働省等の機関を捜索し、厚生省に対しては、当時の局長村木厚子さんを虚偽公文書を発行した罪で起訴しました。ところが、この事件で、捜査担当検察官が証拠を改ざんして起訴したということが発覚しました。このことをきっかけとして検察官のあり方、さらには捜査のあり方を考える必要があるという声が高まり、民主党政権のもとで、検察官のあり方検討会がもたれ、その検討の結果、「取調べ及び供述調書に過度に依存した捜査・公判の在り方を抜本的に見直し,制度としての取調べの可視化を含む新たな刑事司法制度を構築するための検討を直ちに開始するよう提言」 が行われ、これを受けて、法制審議会に新時代の刑事司法制度特別部会が設置されました。
 このように、本来は、取調べの可視化を含む捜査のあり方を検討することからはじまった刑事訴訟法の改正議論が、いつの間にか、通信傍受の拡大、司法取引の導入など、新しい捜査手段の構築に重点が移されていき、法案として第189国会に提出されたのです。
 捜査の適正化を目指したものが、捜査手段の拡大を含むものになった、これが第一の問題点です。

法制審の構成

 第二は、法制審の構成の問題です。上記の検察官のあり方検討会では、取調べの録音・録画、証拠開示の拡大など、捜査の適正化のための提案が行われ、冤罪防止に向けて真剣な議論が行われるであろうことを期待させました。ところが、法制審議会特別部会では、捜査の適正化の対象となるべき警察・検察の委員が増え、そのため、審議が捜査のあり方を検討する方向から、新しい捜査手段の創設へと比重を移すことになったのです。
 法制審の中立性については、従来から問題視されていました。政府側委員が多く、また、その他の委員であっても、事務当局からの提案にことさらに反対する意見を出さない人が多い、あるいは、政府側に反対の意見の持ち主は敬遠されるなど。
 そうした問題はありながらも、捜査の適正化を検討する審議会であるからには、そのメンバーに現在の捜査のあり方に対して批判的な人が相当数入るであろうと期待するのが、当然のことです。事実、映画監督の周防さんや冤罪被害者の村木さんなど、いわゆる一般有識者委員の顔触れには、新味が感じられました。しかし、捜査のあり方を検討するのであるから、警察・検察関係者は参考人として意見を聞くことがあっても、委員から除くという、当然考えられるような配慮はされませんでした。

弁護士会の果たした役割

 捜査を適正化して、冤罪を防止するための会議において、重要な役割を果たすのは、弁護士会です。弁護士会は、冤罪被害者の立場に立って、冤罪を招くような捜査のあり方を批判する、これがだれもが弁護士会に期待する役割でしょう。
 これまでは、日本弁護士連合会は、そうした役割を果たしてきました。厳罰化・重罰化をもたらす刑法改正に反対し、盗聴法の制定に反対しました。
 密室での取調べが冤罪を招くという観点から、取調べの全面的・全過程の録音・録画を主張してきたのも、弁護士会です。
 今回の刑訴法改正が取調べの録音・録画の実現を含んで提案されたことも事実です。そうしたところから、日弁連が今回の法律の制定に積極的だということは理解できます。しかし、問題は、その録音・録画が一部だということに加えて、日弁連が反対した盗聴の拡大をはじめ、司法取引や刑事免責などの冤罪を引き起こす可能性のある捜査手法の導入を含んでいることです。
 日弁連は、取調べの録音・録画が一部の事件に限られ、盗聴の拡大が提案されてきた段階で、少なくとも慎重審議を要求すべきでした。しかし、法案が提出されると、早期の成立を求める意見を公表し、法案の成立を国会議員に働きかけるなどの行動を起こしました。
 日弁連には、参議院の審議の最終段階でも、考え直すチャンスがありました。別事件での起訴後の勾留を利用して、殺人事件についての取調べを行い、その取調べにおいて得られた自白を基にして有罪判決が出された事件が、明るみに出ました。起訴後の勾留を利用した取調べにあたっては、録音・録画がされていなかったのです。この事件では、一部の録音・録画の問題点が事実をもって示されました。この事件の問題点が明らかにされた時点でも、日弁連は今回の改正に問題があることを認めようとはしなかったのです。
 このような日弁連の態度を見た国会議員は、「日弁連も賛成しているのだから」として、十分に議論することもなく、この法律を成立させました。
 冤罪被害者の中からは、このような日弁連の態度に対して、失望の声が聞こえてきます。「冤罪から身を守ってくれる機関」としての信頼感が、あまりにも見事に失われたからです。冤罪被害者は、いったい何を頼りに身を守ればよいのでしょう。

 
【村井敏邦さんプロフィール】
一橋大学法学部長、龍谷大学法科大学院教授、大阪学院大学法科大学院教授を経て、現在一橋大学名誉教授。法学館憲法研究所客員研究員。