【村井敏邦の刑事事件・裁判考(44)】
三浦事件とは 三浦事件弁護団解団式
 
2015年2月16日
村井敏邦さん(大阪学院大法科大学院教授)
 先日、三浦事件弁護団の解団式に参加してきました。弁護団の解団式というのは、大変珍しい会です。呼びかけ人は弘中淳一郎弁護士です。
 弘中弁護士は、多くの有名刑事事件を手がけ、難事件を無罪にしています。昨年、『無罪請負人』という新書も刊行されています。弘中弁護士が無罪を確定させた事件の一つが、「三浦事件」です。
 「三浦事件」といっても、必ずしも一事件ではありません。数年前にロサンゼルスの刑務所の中で亡くなった三浦和義氏のかかわった事件には、いわゆる「ロス疑惑事件」と称されていた事件を筆頭に、この事件に関連して報道の在り方が問われた民事事件が数多く想起されます。これらの民事事件も、報道と人権のかかわりについて、重大な問題提起を含んでいるものが多いのですが、ここでは、いわゆる「ロス疑惑事件」ともいわれる刑事事件に焦点をあてて、「三浦事件」とはなんだったのか、ということを振り返ってみたいと思います。

ロサンゼルスで起きた銃撃事件

 1981年11月18日午前11時過ぎ、ロサンゼルス郊外の駐車場で、三浦氏と妻の一美さんが、何者かに銃で撃たれて、二人とも重傷を負い、一美さんは収容された病院で死亡しました。夫の和義さんも、大腿部を撃たれて重傷だったのですが、助けを呼び、救急車で病院に運ばれて一命を取り留めました。
 和義さんは、一美さんの遺体とともに、日本に帰国し、事件は不慮の強盗事件として処理されようとしていました。ところが、事件から2年2か月後の1984年1月になって、ある週刊誌が「疑惑の銃弾」という連載を行い、和義さんが一美さんを保険金目当てで殺害したと報道しました。これをきっかけとして、テレビのワイドニュースや他の週刊誌などもが、強盗を装った保険金殺人事件として、連日のように「疑惑人」報道をしました。

殴打事件

 こうした過熱報道に後押しされるように、1985年9月11日、警視庁は、銃撃事件が発生する3か月前の1981年8月13日に、和義さんが元女優を使って、一美さんを日本のホテルの浴室内で殴打して殺そうとしたという殴打事件で逮捕しました。
 殴打事件については、10月3日に、東京地検が殺人未遂事件として起訴し、1987年8月7日、東京地裁は、和義さんに懲役6年の有罪判決を下しました。
 和義さんは、直ちに控訴しましたが、1994年6月22日に控訴が棄却され、1998年3月6日に上告も棄却されて、殴打事件の有罪が確定しました。

カリフォルニア州の逮捕状

 殴打事件に対する控訴審の審理中の1988年5月5日、ロスアンゼルス地方検事の請求によって、カリフォルニア州ロサンゼルス郡地方裁判所判事は、和義さんに対する殺人および殺人の共謀を犯罪事実(訴因)とする逮捕状を発付しました。
 この逮捕状には、一美さんに対する殺人と殺人の共謀という二つの罪があげられています。アメリカの刑法では、一人の人を殺したという殺人罪と同時に、その人を殺すことを共謀したという殺人の共謀罪(コンスピラシー)をも起訴することができるのです。
 二人以上の者が犯罪を行うことを合意すること、これが共謀罪の基本的な成立要件です。カリフォルニア州刑法は、これに加えて、共謀の事実を示す「外形的行為(オヴァート・アクト)があることを要求しています。上記の起訴状には、被害者の一美さんに生命保険を掛けたことなどと並んで、殴打事件が「外形的行為」として挙げられていました。

銃撃事件の裁判

 カリフォルニア州における逮捕状の発付から5か月経った1988年10月20日、日本では、警視庁が銃撃事件で和義さんを逮捕し、11月10日、東京地検は、実行犯をOさんとし、和義さんを銃撃事件の共謀共同正犯として起訴しました。
 ところが、審理が進むにつれ、Oさんが銃撃の実行犯であることに大きな疑問が生じてきました。検察官が実行犯とした人が実行していないということになると、この人と共謀したという事実にも疑いが生じ、全体のシナリオが完全に崩れてしまいます。その結果は、無罪判決しかないだろうと、だれもが思うところです。
 しかし、東京地裁は、Oさんを無罪としましたが、和義さんについては、氏名不詳者と共謀して一美さんを殺害したとして、無期懲役を言い渡しました。
 控訴の東京高裁では、この判決は破棄され、和義さんは無罪となり、この結論が、最高裁判所でも維持されて、銃撃事件については無罪が確定しました。

サイパンでの逮捕

 上記の無罪確定で、事件は一段落したと多くの人が思いました。ところが、ロサンゼルス市警は、和義さんに対する逮捕状は依然として有効であるとして、2008年2月22日、アメリカの自治領である北マリアナ諸島サイパン島に、たまたま遊びに行っていた和義さんを逮捕しました。
 その後、アメリカの捜査当局は、和義さんの身柄をロサンゼルスに移送することを請求し、これに対して、和義さん側は、すでに日本では無罪判決が確定していることから、アメリカにおける逮捕は、「二重の危険」に当たり、憲法違反であると主張しました。
 2008年9月26日、ロサンゼルス地裁は、殺人罪による逮捕状は「二重の危険」に当たり無効であるとし、共謀罪による逮捕状だけが有効であると判断しました。
 10月10日、和義さんは、サイパンからロサンゼルス市警に身柄移送されましたが、同日、留置場で首つりの状態で死亡しているが発見されました。

三浦事件に見る法律問題

 以上の経過をたどった三浦事件には、多くの法律問題があります。
 第一に、殴打事件と銃撃事件との関係です。検察側の主張を前提とする限り、この二つは一連の事件です。アメリカの逮捕状でも、殴打事件は、銃撃事件の共謀を裏付ける「外形的行為」とされています。殴打事件を銃撃事件の前段階として位置付けるならば、両事件をバラバラに起訴し、裁判するというのは、一つの事件を二重に扱うことになるのではないでしょうか。
 第二に、O さんを実行犯とする殺人の共謀共同正犯という起訴事実をそのままにしたまま、すなわち、訴因変更という手続きをとらないで、氏名不詳者との共謀共同正犯を認めた東京地裁の判断は、法律的に妥当でしょうか。
 第三に、殺人罪については、「二重の危険」を認めながら、殺人の共謀罪は「二重の危険」に当たらないとしたロサンゼルス地裁の判断は妥当だったのでしょうか。
 この最後の点は、これから議論が本格化するだろうと予想されたのですが、和義さんの死亡によって、議論が煮詰まらないまま終結しました。
 和義さんの死亡も、ロサンゼルス市警は、自殺として処理しましたが、関係者は、和義さんはまだまだ闘う意思を明らかにしていたので、自殺は信じられないとしており、謎が残ります。
 このように、三浦事件は、今なお、さまざまな問題を私たちに問いかけています。
 
【村井敏邦さんプロフィール】
一橋大学法学部長、龍谷大学法科大学院教授、大阪学院大学法科大学院教授を経て、現在一橋大学名誉教授。法学館憲法研究所客員研究員。