『うさぎのヤスヒコ、憲法と出会う』  
2014年8月18日
西原博史さん(早稲田大学教授(憲法学))
 先週の仲道祐樹さんによる『おさるのトーマス、刑法を知る』に引き続き、同じ「なるほどパワーの法律講座」から憲法編、『うさぎのヤスヒコ、憲法と出会う』(太郎次郎社エディタス、2014年4月)をご紹介させていただきます。2012年度に江戸川区子ども未来館で月に一度開催された小学校4〜6年生向け法律ゼミ(仲道さんと西原で交互に担当)で用いた読み聞かせシナリオを元に、読み物としての利用に耐えるように組み立て直し、解説を付け加え、山中正大さんのかわいらしいイラストを入れてもらったところは、刑法編といっしょです。仲道さんの紹介も、あわせご参照ください

 
 この小学生ゼミの時から一貫して、仲道さんと私は、子どもたちに自分の判断の「理由」を考えてもらい、対立する判断を擁護する相手の理由と比べてもらい、その上で調整可能な解決を探してもらうよう働きかけてきました。これは、比較衡量の手法ですから、大学の憲法ゼミではなじみ深い思考枠組です。名誉・プライバシーと表現の自由の公共的機能が対立する時、具体的な事例の中で、どちらを優先させるか(第3章)? 憲法を学びたての大学生でも、あるいは小学生でも、直観的な判断はできます。ただ、直観ですから、一人ひとり方向性が違う。同じ環境で判断を求められても結論に違いがあることに気づくと、なぜ相手は自分と違う判断なのかが気になります。もしかすると自分が何かを見落としている? 違いを認めた先には、お互いをリスペクトする姿勢を築くことができるはずです。「なるほどパワー比べ」と我々が呼んでいるのは、こうした理由レベルでの比較プロセスです。
 小学生の場合、法律の条文や原理に込められた規範には馴染みがありません。なので、そこに向けて橋渡しする必要があります。ただ、それが「お勉強」になると、自らの直観を出発点にしながら検証していく推論過程が破壊されてしまいます。そのため、仲道さんと私の企画では、同じ論点を小学生の日常言語と法律用語で二回りする、という手法を多用しました。塾長によるチカン被害を防ぐために公共掲示板に特定学習塾に関する警告を書くのは適切か? まずは、人格権も表現の自由も抜きで、日常言語で考えてもらい、自分にとって大切な「理由」を付箋に書き落としてもらう。その上で、法制度を紹介しながら、もう一度、表現の自由の限界という観点で自らの判断を正当化するための付箋を作ってもらう。子ども法律ゼミの参加者は、2012年度も、2回目に新規募集した今年度も、私たちが事前に想定するよりもずっと柔軟で、多面的な問題のとらえ方をしてくれます。私がそこで学んだ新鮮な発想の一端は、『うさぎのヤスヒコ、憲法と出会う』にも取り込まれています。

 実際の子どもたちは、少しだけ言葉を与えると、論理的で精緻な規範的推論を組み立て、嬉々として検証しあうようになっていきます。きちんとした規範的推論が子どもにできないわけでは決してない、ただ、言葉を与えられず、機会を与えられていないだけだ、と私たちは痛感しました。そう思って考えてみれば、「私は○○を要求することが正しいことだと思う、なぜならば……」という主張は、子どもの日常の中では、常に否定され、抑圧されるだけ。大人たちには、なかなか受け止めてもらえません。知的トレーニングの場である学校でも、それは変わりません。
 日本の学校には、「正解」のない問題を考え、討議し、少しでもよい答えを出すための手法をトレーニングする機会は組み込まれていません。しかし、大人になって出会う多くの大事な問題には正解などありません。世界平和を作る上で日本はどう貢献すべきか、集団的自衛権行使を認めるべきか、憲法9条をどう解釈すべきか、あるいは、改正すべきか。こうした問題に正解はあり得ません。存在するのは、賢明な答えと愚かな答えの区別だけ。
 今、そうした「政治的」問題は、学校の中ではタブー化されます。大学生やサラリーマンの酒席において、そうした話題が「ダサい」とされる現状は、直接には、正解がないという理由で国家のあり方に関する根本問題を排除してきた学校教育のあり方によるものでしょう。また、もう一時代遡ると、憲法をめぐる規範的な推論過程を別の形で抑圧してきた学校や地域があったかもしれません。“戦争は絶対悪だ”という形で、人道的介入をめぐる世界の議論に目を閉ざすような教育実践例もありました。しかしそれは、特定の立場を偽って正解視することで、他の立場をタブー化する道でした。合理的な討議にはつながりません。
 本書では、憲法を持つことと、憲法を解釈することの意味についても、立ち入って読者に考えてもらっています。

 今の日本では、グローバル・エリートを養成する必要性が叫ばれています。どうやら、世界が進むべき道筋について説得力をもって方向性を示せる人物を指すようです。そうした人物像を目指す時、核となるのは、規範的な推論・討議の能力です。そして、その能力は同時に、相手の主張に耳を傾け、違う立場へのリスペクトをもって全員が納得できる解決を探す能力と結びつくはずです。日本の普通の子どもたちにも、その十分な素質があることを私たちは確認してきました。ただ、直接に触れ合える子どもたちの数は、どうしても限られています。太郎次郎社エディタスの力を借り、読みやすい本に形を変えることによって、「いいんだよ、なんでそう思うか言ってごらん。ただ、違う立場の人たちがいることも忘れずにね」というメッセージを、多くの子どもたちに届けることを願い、ここまできました。
 本欄読者諸氏のご支援を得て、仲道さん著の『おさるのトーマス、刑法を知る』とともに、一人でも多くの子どもたちに届き、また老若男女の違いを越えて話題にしてもらい、規範的推論の楽しさに気づいてもらえることを、心から祈っています。
 
【西原博史(にしはらひろし)さんのプロフィール】
早稲田大学社会科学総合学術院(社会科学部)教授、博士(法学)(早稲田大学)。専門は憲法学。