【村井敏邦の刑事事件・裁判考(36)】
裁判員裁判制度施行5年を経過して
 
2014年6月9日
村井敏邦さん(大阪学院大法科大学院教授)
 裁判員裁判制度は、5月21日で施行5年を迎えました。この制度については、施行後3年経過後から見直しを検討することになっています。3年経過後の時点で、法務省法制審議会は、長期間の審理が予定される事件について裁判員裁判の対象外にするなどの見直し案を検討しています。しかし、この点の検討が、現在裁判員裁判が直面している問題を解決するために急務のことかというと、大いに疑問です。もっと前に検討すべきことはあるのではないか、マスコミをはじめ、世論の反応はおおむねそうしたものでした。
 経過後5年を迎えて、マスコミ各社は裁判員裁判についての問題点を検討する社説や意見を掲載しています。これによると、最大の問題は、裁判員に課されている守秘義務であり、裁判員辞退者が増加しているのも、このためであると指摘されています。

裁判員辞退者の増加

 2013(平成25)年12月までに裁判員裁判で裁判員に選ばれた人は34,896人です。性別は、男性が54.9%、女性が43.2%となっているとのことです。裁判員候補者に選ばれた人のうち、約60%の人が裁判員を辞退しています。この60%の辞退者が多いか少ないかは一概にはいえないでしょう。問題は、この数値が増加しているということと、その辞退理由です。裁判員制度が発足した2009年の辞退率は53.1%であったのが、2013年63.1、2014年(3月末まで)は69.1%になっています。裁判員候補者に選ばれた人は選任手続きの出席して、正規に裁判員に選任されることになるのですが、選任手続きへの出席率が、年々減少しているのも気になるところです。2009年40.3%、2010年38.3%、2011年33.5%、2012年30.6%、2013年28.5%、そして今年(2014年)3月末現在で25.0%ということです。候補者として呼び出された人の4分の1の出席というのは、いささかさびしい感じがします。
 裁判員裁判制度が定着してきて、目新しい制度でなくなった結果だという見方もできます。たしかに、最近では、裁判員裁判がマスコミで取り上げられることが少なくなりました。よかれ悪しかれ、裁判員裁判への関心は年々薄くなってきたようです。それが辞退率や出席率に反映しているということも言えましょう。しかし、裁判員になって審理を経験した人は年々増えてきているのですから、その人たちの声によって裁判員に積極的に取り組もうという動きがあってもおかしくありません。
 各地で行われている裁判員経験者の経験交流会では、裁判員経験者の多くが裁判員を経験してよかったという声をあげています。少なくとも、裁判員経験者の声が裁判員になることにマイナス評価になっているのではないようです。むしろ、裁判員経験者の声が一般の人には伝わっていないのではないと考えられています。裁判員経験者の率直な声が届かない理由の一つが秘密保持義務にあります。

裁判員の秘密保持義務の問題

 裁判員には、評議の秘密その他の職務上知り得た秘密を漏らしてはいけないという秘密保持義務が課されています。この義務は裁判員を終わっても継続します。秘密を洩らした場合には、処罰されます。
 この秘密保持義務が裁判員には重くのしかかっています。裁判員の経験交流会でも、裁判員としてかかわった事件については、家族にも話すことができず、その話題になると気分が悪くなるという声が多く出ています。どこまで言えるのかがはっきりしないので、大変な精神的負担になるわけです。
 この義務のために、裁判員の経験を伝えることができないわけです。経験交流会でも、できるだけ事件の内容には入らないように話が進められています。こうした場でも自由にできるならばいいのでしょうが、裁判所がしつらえた場所での発言が保障されているだけです。
 裁判員として裁判に関与している間の秘密保持義務はあってもいいでしょうが、裁判員の職務が終了しても、一生秘密をもって生きていなければならないというのは、あまりにも負担が重すぎます。自分から好んで裁判員になったわけでもない人に、そこまでの負担を課すというのは、憲法違反ではないかという声が出るのも当然です。この点は、至急考え直すべきですが、法制審では検討課題となっていても、実際に制度改革の議論は出ていないようです。
 裁判員裁判普及の大きなネックは普及が必要だという国側が作っています。

死刑事件への関与の問題

 次の問題は、死刑事件への関与の問題です。死刑事件を担当した裁判員は、一様に精神的負担の大きさを訴えています。死刑という結論になった場合、自分がその結論に賛成したか反対したかにかかわらず、評決結果がよかったのかと悩むという切実な声があがっています。この点は、裁判員裁判の施行前から心配されたことです。裁判員に対する精神的ケアの必要が叫ばれるところです。
 今年(2014年)2月17日、裁判員を経験した市民20人が、死刑執行を停止し、死刑の情報をもっと公開するよう求める要望書を谷垣禎一法務大臣に提出しました。この中には、実際に死刑事件にかかわった人も3人います。死刑を選択することの決断の大きさと、その反面死刑を選択するについての基礎的な情報がないということで、悩んだ結果の要望書だと思われます。死刑事件を裁判員が担当する限りでは、最低限の要望であると思われます。
 殺人事件などの証拠でカラー写真が提示されることによって、気分が悪くなり、さらにはPTSDになったという裁判員も出てきたということで、証拠調べについては多少工夫が行われてきているようです。しかし、証拠を加工するというのは、はたして妥当かという問題があります。また、裁判員の側からしても、証拠はそのままで見たいという思いもあるでしょう。
 むしろ、死刑事件を裁判員裁判の対象とすることの是非こそ問題となる点ではないでしょうか。

死刑事件を裁判員裁判対象外にすることについて

 裁判員の精神的負担というの点からは、死刑事件を裁判員裁判の対象外とするのが、ベターでしょう。しかし、他方で、重大事件を市民参加の対象から外すのは、市民による裁判の本来の趣旨に反するともいえます。
 アメリカでは、基本的には事実認定だけに陪審員がかかわって、量刑判断は裁判官の専権事項としている州が多いのですが、死刑事件だけは別で、市民の権利として死刑陪審制度を採用すべきであるという連邦最高裁の判断が出ています。
 ただし、死刑陪審の前提として、死刑の量刑基準を明確に示さなければならないとされています。

死刑の量刑基準と裁判官の介入

 日本でも、死刑についての量刑基準を設けるべきであると意見は多く出されています。裁判所も、とくに裁判員裁判となって、量刑判断の基準を明確化するというメッセージを出してきています。とくに、死刑については、その他の刑罰とは質的に異なるとして、死刑選択の基準を検討する研究を発表しています。ただし、その基準つくりが従来の判例の中から行われるということなので、はたして裁判員裁判の基準作成として妥当かが疑問となるところです。
 死刑については、懲役刑とは質的に違いがあるので、裁判員裁判で死刑選択された事件については、控訴審の裁判官による裁判でその妥当性を積極的に検討して、死刑を破棄する判断をしてもよいという意見が裁判官の中にあります。一般的には、裁判員の判断を尊重すべきだが、死刑判断は別だというのです。
 そのような考えに基づいて、裁判員による死刑判断を取り消して、無期懲役を言い渡した事件が数件出ています。
 死刑を破棄するという点では、死刑に対する慎重な態度が見られて賛成できるところです。しかし、他面、裁判員の判断を裁判官が是正するという感覚が、市民の裁判という観点とは違和感があるともいえます。いずれにしても、死刑があることの問題が裁判員裁判に出たというべきでしょうか。
 
【村井敏邦さんプロフィール】
一橋大学法学部長、龍谷大学法科大学院教授、大阪学院大学法科大学院教授を経て、現在一橋大学名誉教授。法学館憲法研究所客員研究員。