袴田事件再審開始決定の意義  
2014年4月21日
大出良知さん(東京経済大学現代法学部教授)
 早いものでもう一ヶ月近くが経ちますが、3月27日に、静岡地方裁判所は、いわゆる袴田事件の確定死刑囚であった袴田巌さんについての再審請求を認め、再審を開始するという決定をしました。この決定については、先週のこの欄で村井さんも言及していますが(こちら)、重要な決定ですので、少し違った角度からさらに二つの点について検討しておきたいと思います。今週は、まず決定の内容に関わって、再審による救済のあり方という点からいくらか問題提起をしてみたいと思います。来週は、釈放がどのように行われることになったのかを確認しておきたいと思います。
 今回の再審開始決定は、いろいろ報道されていますように、重要な新証拠に依拠していたことは間違いありません。袴田さんが犯行の際に着ていたとされていた衣類に付いていた血痕のDNA鑑定や衣類の味噌漬け実験結果、それに検察官が今回初めて開示した証拠などです。
 ということですと、新証拠が提出される前の状態では、死刑になるのもやむを得なかったのか、ということが気になります。現在の制度では、再審を請求するためには、新証拠を提出することが求められていますし、その運用ということでは、かっては新証拠が無罪であることを示すような重要な証拠である必要があると考えられたりもしていました。最近は、そこまで極端ではありませんが、新証拠が重要であることを要求しようという考えは相変わらず強いといって良いかもしれません。その根底には、やはりそれまでの証拠関係からは、有罪という判断もやむを得なかったのだという考えがあるのではないかと思えてなりません。
 しかし、実際の誤判事件を見てみますと、確定するまでに明らかに誤っていたとしか考えられない事件の方が圧倒的に多いといって良いと思います。この袴田事件もそうです。
確定までの問題点は、あげればキリがありません。袴田さんが逮捕された直接のきっかけになったのは、パジャマに被害者の血液型と同型の血痕が付着していたということでした。
ところが、裁判がはじまってみると、そのパジャマには血液かどうかも分からないシミが付いている程度でしかありませんでした。
 そうであれば、パジャマが犯行着衣とは考えがたいですし、ということは袴田さんを犯人とすることもおかしいということになるはずです。ところが、裁判がはじまって1年2ヵ月ほど経って、そのような疑問が生じはじめたところで、袴田さんが勤めていた味噌工場の味噌タンクの中から麻袋に入れられた大量に血の付いた衣類5点が突然発見されます。その後、袴田さんの実家に捜索にいった警察官が、衣類5点の一つのズボンと同一の布であるとされた端布一枚を勤め先から袴田さんの実家に送り返されてきたとされる荷物の中から発見することになりました。その結果、ズボンは袴田さんのものであり、そのズボンと一緒に発見された衣類がパジャマに代わって犯行着衣だということにされ、死刑判決を支えることになります。
 ところが、そのズボンは、控訴審で3回も袴田さんが履く実験をしましたが、いずれの時もズボンが小さすぎて、袴田さんは履けませんでした。それを裁判所は、味噌に漬かっていたから縮んだとか、袴田さんが太ったんだといって事件当時は履けたんだとしてきました。
 さらに、袴田さんが犯行を認めた自白調書が、45通ありました。ところが、一審で死刑にした裁判所は、この自白調書の44通は、違法な取調べによるもので証拠として使えないとしました。にもかかわらず、何故実質的には同じような条件で取られた自白調書一通が証拠として使えるのか疑問でしたし、その内容も、犯行着衣は、パジャマということになっていた自白でした。
 つまり、以上述べたところからも明らかなように、死刑判決を証拠上支えていたのは、唯一、袴田さんの実家から発見された袴田さんが履こうとしても履けなかったズボンの端布です。それに比べれば、死刑判決にははるかに多くの疑問が提起されていました。ですから、刑事裁判の「疑わしいときには被告人の利益に」という鉄則に従えば、そもそも袴田さんを、死刑にすることはできなかったと考えざるを得ません。
 ところが、このような事件でも、確定してしまいますと、救済は容易でないということになってしまいます。それは、前述したように、現在の再審制度が、再審請求に当たって新証拠を要求していることと関係しています。確かに、根拠もないのに無闇矢鱈に再審の請求を認める訳にはいかないというのも一理あります。しかし、そもそも確定判決自体が誤っていたかもしれないのに、新証拠を要求し、しかもその新証拠が確定判決を覆すのに重要な内容のものでなければならないとなれば、救済は容易ではありません。
 ですから、再審請求を受けた裁判所が、確定判決が「合理的な疑い」がなく確定していたのかどうかを再度評価することからはじめて、その結果如何で、新証拠にどの程度の役割が求められているのかを判断するといった方法が提起されてきました。有名な最高裁白鳥決定も、その直後に出された財田川決定と合わせて読むと、そのような判断方法を認めたと解することができます。
 しかし、このような考えには、裁判官達の抵抗が強く、重要な新証拠が提出されたときにはじめて、確定判決の再評価を認めるといった運用が行われてきました。
 今度の開始決定も、一応、この間のそのような裁判所の考え方に沿って、重要な新証拠が提出されたということを前提に、再審開始を決定しています。
 しかし、この決定を書いた裁判官達は、一審以来の死刑判決に突きつけられてきた疑問が、いかに常識的に考えて重大であったかということにあらためて気がついたのではないかと思います。であればこそ、唯一死刑を支えてきた端布が存在することの方がおかしく、その証拠が存在するのは、「後日証拠がねつ造されたと考えるのが最も合理的で有り、現実的には他に考えようがない。そして、このような証拠をねつ造する必要と能力を有するのは、おそらく捜査機関(警察)をおいて外にないと思われる」と言わざるを得なかったのだと思います。
そのような場合をストレートに救済できるような再審の運用を実現することがあらためて求められていると言わなければなりません。
 
【大出良知さんのプロフィール】
九州大学法科大学院長などを経て、現在東京経済大学現代法学部教授。専攻は刑事訴訟法、司法制度論。
『裁判を変えよう−市民がつくる司法改革』『長沼事件 平賀書簡−35年目の証言、自衛隊違憲判決と司法の危機』など著書多数。