【村井敏邦の刑事事件・裁判考(29)】
再度名張事件について論じる ―第7次再審請求に対する最高裁の棄却決定について
 
2013年11月11日
村井敏邦さん(大阪学院大法科大学院教授)
 
2度目の特別抗告審決定

 10月16日、最高裁第1小法廷は、名張事件第7次再審請求の2度目の特別抗告審において、特別抗告棄却の決定をしました。
 すでにこの欄において取り上げたように、2010年4月5日、最高裁第3小法廷は、再審開始決定を覆して請求を棄却した名古屋高裁の決定に対して、「犯行に使用された毒物には,トリエチルピロホスフェートが含まれていないことを明らかにし,本件毒物が同物質を含むニッカリンTでなく,同物質を含まない別の有機燐テップ製剤であった疑いがあるとするJ作成の鑑定書,K作成の鑑定書等」については、原決定が、本件毒物にはニッカリンTに含まれているべき成分が含まれていない可能性があることを認めながら、試験の際には、たまたま「それを検出することができなかったと考えることも十分に可能であると判断したのは,科学的知見に基づく検討をしたとはいえず,その推論過程に誤りがある疑いがあ」るとしました。その上で、審理不尽があったとして、差戻し決定をしました。
 差戻審は、独自の推論を重ねて、ニッカリンTが検出されなかったことにも理由があり、検出されなかったことによって本件凶器がニッカリンTではないという結論にはならないとして、再審請求を棄却する決定をしました。

最高裁の判断

 10月16日の決定で、最高裁判所は、これまでの経緯を記述した後、「当審の判断」として、以下のように述べています。きわめて短いので、ここにすべてを引用しておきます。
 「原審(差戻し後の異議審)の鑑定は、科学的に合理性を有する試験方法を用いて,かつ,当時の製法を基に再製造したニッカリンTにつき実際にエーテル抽出を実施した上でTRlEPP(トリエチルピロホスフェート)はエーテル抽出されないとの試験結果を得たものである上,そのような結果を得た理由についてもTRIEPPの分子構造等に由来すると考えられる旨を十分に説明しており,合理的な科学的根拠を示したものであるということができる。同鑑定によれば,本件使用毒物がニッカリンTであることと,TRIEPPが事件検体からは検出されなかったこととは何ら矛盾するものではないと認められる。所論は,農薬を抽出する際には塩化ナトリウムを飽和するまで加える方法(塩析)が当時は行われており,塩析した上で試験をすればTRIEPPはエーテル抽出後であっても検出されると主張するが,当時の三重県衛生研究所の試験において塩析が行われた形跡はうかがわれず,所論は前提を欠くものである。また,対照検体からはTRIEPPが検出されている点についても,当審に提出された検察官の意見書の添付資料等によれば,PETPがエーテル抽出された後にTIEPPを生成して検出されたものと考えられる旨の原判断は合理性を有するものと認められる。
 以上によれば,証拠群3は,本件使用毒物がニッカリンTであることと何ら矛盾する証拠ではなく,甲立人がニッカリンTを本件前に自宅に保管していた事実の情況柾拠としての価値や,各自白調書の信用性に影響を及ぼすものではないことが明らかであるから,証拠群3につき刑訴法435条6号該当性を否定した原判断は正当である。」

疑問に答えているか

 今回の第7次再審請求については、請求審において再審開始決定が出され、それが抗告審で取り消され、さらに、特別抗告審である最高裁がこの抗告審の審理が不十分であったとして、高裁に差戻した後、高裁で2度目の再審請求棄却決定が行われ、特別抗告を行われるという、異例に長い経緯をたどってきました。
 今回の最高裁決定が、前の決定の疑問に答えていると言えるでしょうか。何も内容のある答えになっていません。すでに指摘したように、その前の高裁決定をなぞっているにすぎないのです。「原審……の鑑定は、科学的に合理性を有する試験方法」を用いているとしていますが、何をもって「科学的に合理性を有する試験方法」だと認めたのか、何らの根拠が示されていません。単なる結論だけです。試験答案で、このような結論だけを示して理由を書いていないのは、合格点にはなりません。どうように、このような最高裁の判断は、実証性を示したものとはいえないのです。
 弁護団は、ニッカリンTに含まれているべきTRlEPPが、犯行に用いられた毒物からは検出されなかったという結果を示して、この毒物は確定判決が凶器と特定したニッカリンTではないと主張していました。これに対して、原審はエーテル抽出という方法を用いた鑑定によってはTRIEPPが検出されないこともあるとし、最高裁は、含まれていても検出されない合理的な根拠を示したものだとしました。
しかし、検出されなかったという結果から、その物質には、その要素が含まれていなかったと考えるか、それとも、含まれているけれども、検出されなかっただけだと考えるか、どちらが合理的でしょうか。少なくとも、含まれる要素が含まれていないということに対して、大きな疑問が示されたというべきでしょう。検出されなかっただけだというのも、一つの推論結果ではありますが、それによって、弁護団が示した疑問を払しょくすることにはなりません。
 事件直後のテストでは、対照試料からTRlEPPが検出されていることについては、原審は「エーテル抽出された後にTIEPPを生成して検出されたものと考えられる」とし、最高裁は、これを合理性を有すると判断しています。しかし、これは単なる仮説に過ぎません。証拠を示さないで、弁護団の一定の実験結果を示して提示した疑問に対して、単なる仮説を示すのでは、決して疑問に答えたものとは言えません。にもかかわらず、今回の決定はその仮説が合理的だと言っている、これは証拠による裁判とは言えませんし、少なくとも、「疑わしきは被告人の利益に」原則に従った判断とは言えません。
 前の最高裁決定についても、すでに指摘したような問題がある上に、その疑問にすら答えていないのです。それで、第7次再審請求に締めようとするのは、ますます司法の権威を失墜することになるでしょう。
 結局、この決定は、再審にも「疑わしきは被告人の利益に」原則が適用されることを明らかにした白鳥決定以前に戻ったと言わざるを得ません。司法のために残念です。
 
【村井敏邦さんプロフィール】
一橋大学法学部長、龍谷大学法科大学院教授、大阪学院大学法科大学院教授を経て、現在一橋大学名誉教授。法学館憲法研究所客員研究員。