15年のナラク  
2013年7月15日
今井恭平さん(ジャーナリスト・「なくせ冤罪!市民評議会」理事)
ゴビンダさんと(左)
ゴビンダさんの獄中日記

 7月15日、「ナラク----ゴビンダ・マイナリ獄中日記」を、ようやく上梓にこぎ着けました。1997年、東京渋谷で起きた、いわゆる「東電OL事件」で殺人犯の汚名を着せられ、無期懲役刑を言い渡されたネパール人、ゴビンダ・マイナリさん。彼が獄中での15年の歳月につづった日記は、大学ノート18冊にのぼります。「ナラク」は、それを翻訳、編纂したものです。
「ナラク」とはネパール語で「地獄」を意味し、サンスクリット語に由来していますが、日本語の「奈落」も同じ語源に依っているそうです。
 ゴビンダさんは、昨年6月に再審開始が決定し、同時に刑の執行停止によりネパールへ帰国、その後11月に無罪が確定しています。だが、それまでには、一審無罪(2000年4月東京地裁)控訴審逆転有罪(同年12月東京高裁)という転変と、一審無罪判決後に再勾留されるという、日本の裁判史上、前代未聞の汚点を残した出来事など、司法の迷走によって、人生を翻弄された体験をしています。
 そうした中で、「神様、わたしやってない」という彼の叫びは、当初から一貫して変わることがありませんでした。その声に応えようと、「無実のゴビンダさんを支える会」が2001年始めに発足しました。
 獄中日記と並行して、12年間にわたる「支える会」による面会の記録も収録しました。ゴビンダさんの獄中からの視点を補完しつつ、できるだけ多角的に彼にとっての「ナラク」であった日本の司法や刑務所をとらえる視点を探したいと思ったからです。

「ナラク ゴビンダ・マイナリ獄中日記」
ゴビンダ・プラサド・マイナリ/著
今井恭平/編・解説
発行 希の樹出版
発売 星雲社
定価 1800円+税
四六判 並製 256ページ
離別と再会の物語

 刑務所での日々の暮らしは、すべてが規則・規則・規則。しかも何らの合理的理由も示されない理不尽なものばかりです。おまけに日本語がよく分からない彼にとって、異国での服役が、どれほどの恐怖であったかは想像に難くありません。少しずつ慣れてくると、待っているのは昨日と同じ今日、今日と同じ明日の繰り返し。そして、つまらないことで「規則違反」に問われ、こつこつと築き上げてきた「無事故」というささやかな心の拠り所も、一気に奪われます。
 服役は、故郷に残してきた妻や2人の娘、年老いた両親や兄姉たちとの離別も意味します。「支える会」は1年に1度、家族をネパールから呼び寄せ、ゴビンダさんとの面会を実現してきました。強化ガラスを挟んで、手を触れることもできず、立ち会い看守の見守る中での30分の面会。それが、彼と家族の絆をつなぎとめた唯一の機会でした。
 そうした中で、年老いた父の訃報を、一人獄中で聞き、また10数年ぶりに娘たちと「再会」しても、どちらが姉でどちらが妹かさえ、最初は識別できませんでした。
 2011年7月、新たなDNA鑑定結果が明らかになり、ゴビンダさん以外の第三者が真犯人である可能性が明らかになります。ここからわずか1年で、家族との再会が現実のものになるまで、事態は一気に動きます。

ゴビンダさんは何故冤罪の犠牲にされたのか

 やってもいない罪で、いつ終わるか「約束の日」が定まっていない無期懲役に服することがどんなことか、体験した者でなければ、想像するのも難しいことです。恐らくその答えは、日記のたんたんとした記述の中から、私たち自身がどこまで読み解いていけるか、にしかないような気がします。
 このことに加え、私がこの本で、読者にどうしても知って欲しいと思ったことが、さらに二つあります。
 一つは、ゴビンダさんが完全に無実であること。真犯人はほかにいる、ということが疑う余地なく明らかになった上で、無罪が言い渡されたことです。
 もう一つは、そうした無実の人が、なぜ有罪にされてしまったのかです。
 この二つのために、「解説」を巻末に書き加えました。
 新証拠である複数のDNA鑑定は、すべてゴビンダさんではない第三の男が犯人であることを強く示唆するものでした。それによって再審が開始され、あらためて無罪となったのです。
 しかし、これら「新証拠」は、実は最初から存在していたものばかりなのです。それが「新証拠」と呼ばれたのは、たんに検察が隠していたから、裁判所も弁護側も知るよしがなかった、という意味に過ぎません。
 ゴビンダさんは釈放後、「検察が最初から証拠を出していたら、私はこんなに苦しまなかった」と思いを語りました。
 いま、ゴビンダさんは家族のもとに帰り、静かで落ち着いた生活を取り戻しつつあります。帰国後インターネットを使い始めた彼は、ときどきskypeを介して連絡してきます。彼は、大崎事件や福井女子中学生殺人事件などで、再審請求が棄却されたニュースなどに敏感です。こうした出来事の後、かならず連絡してきて、憤りを口にします。「再審は、僕のように無実を訴えている人の、最後の望みなのに、どうしてそれさえ聞き届けようとしないのか?」と。
 
【今井恭平(いまい・きょうへい)さんのプロフィール】
ジャーナリスト。「なくせ冤罪!市民評議会」理事。
「無実のゴビンダさんを支える会」結成時からのメンバー。
雑誌「冤罪File」に継続的に執筆。著書に死刑をテーマにした近未来小説「クロカミ 国民死刑執行法」訳書にムミア・アブ=ジャマール著「死の影の谷間から」(ともに現代人文社)などがある。