【村井敏邦の刑事事件・裁判考(25)】
少年事件と逆送(その2)
 
2013年6月3日
村井敏邦さん(大阪学院大法科大学院教授)
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吉祥寺事件についての家庭裁判所の判断

 吉祥寺事件について、東京家庭裁判所は、「間接証拠から殺意があったことは明らかだ」と殺意を認め、「動機にくむべきものがなく、年齢などの事情を考慮しても刑事処分が相当」として、逆送決定を下しています。ほとんど理由らしいものはついていないようです。
 ここで「ようです」としたのは、マスコミ報道では、この程度のことしか明らかにされていないからです。少年事件の審判結果は、特に注目される事件については、裁判所はマスコミに決定要旨を流します。時には、決定要旨がかなり詳しいものがあり、裁判員裁判にかかる事件の場合には、裁判員に予断を与えるのではないかと心配されるものもあります。本来は、少年事件の審判およびその内容は非公開とされているので、決定要旨もマスコミに流すというのは、問題です。したがって、今回の事件についてのマスコミ報道が決定要旨を裁判所が渡さなかった結果だとするならば、そのこと自体は評価できることです。
 しかし、どうもそうではなく、家庭裁判所の決定がこの程度の内容しかなかったようです。そうだとすれば、これで逆送にするというのは、少年手続の原則と例外を逆転させる判断の典型というべきものといえるでしょう。

裁判員裁判と少年事件

 少年事件の審理においては、刑事裁判であったとしても、保護主義の理念は貫かれなければなりません。「少年の最善の利益」は、刑事裁判においても追及されるべき価値です。その点から考えると、少年事件が公開法廷で行われる裁判員裁判になじむかは、難しい問題です。少年が公開法廷を望む場合以外は、通常は、被告人席で少年は委縮して、言いたいことも言えなくなります。まして、検察官に糾問的に追及されるとなると、ますます押し黙ってしまうことにもなりかねません。
 聞いていることに答えない少年に対する裁判員の印象はあまりよくないでしょう。有名事件の場合には、マスコミを通じて裁判員は一定の情報を知らされていますので、最初から少年に対するイメージは良くない可能性があります。前にも書きましたが、とくに少年が凶悪な事件を犯すということに対する一般の人の反応は、成人事件以上に厳しいものがあります。それに加えて、公判での態度は、どうしても悪い印象のほうに傾くきらいがあります。
 印象で裁判をすることはいけないのですが、一定の影響があることはかんがえなければならないのです。
 加えて、少年事件では、家庭裁判所の調査で少年の性格や学校での成績、学習態度その他の学校生活全般についての記録・報告、その他家庭環境などについての報告を記した社会調査記録が作成されます。これは、少年の適切な処遇のための記録ですので、少年のプライヴァシーのみならず、親兄弟その他級友などのプライヴァシーにも深く突っ込んだ報告が見られるでしょう。刑事の公開法廷で明らかにするには適切でない記事も多数あります。裁判員自体にも明らかにされることがふさわしいか、疑問のところもあります。
 以上のような点を考えると、少年事件は裁判員裁判から外すべきだと思うのですが、裁判員裁判で審理される場合に、そのような立法論だけでは対応できませんので、上記の問題点を考慮して審理を行うことになります。

家庭裁判所への移送という制度の活用

 一旦逆送され、刑事裁判所へ起訴された事件でも、家庭裁判所の審判に付するのが相応しいと裁判所が判断すれば、家庭裁判所へ事件を移送し、家庭裁判所で審理することができます(少年法55条)。少年事件の裁判員裁判では、この制度を大いに活用すべきです。
 現に、最近、裁判員裁判で家庭裁判所への移送が決定された事件があります。三郷市と松戸市の女子小中学生2人に対する殺人未遂事件で、事件当時16歳の少年の裁判員裁判で、本年3月12日、さいたま地方裁判所は、少年をさいたま家庭裁判所に移送する決定をしました。初めてのケースですが、少年事件の裁判員裁判で審理することの問題点を考えるならば、このようなケースはむしろ原則とすべきだと思います。吉祥寺事件でも、審理を担当する裁判所は、家庭裁判所への移送を真剣に検討すべきでしょう。
 
【村井敏邦さんプロフィール】
一橋大学法学部長、龍谷大学法科大学院教授、大阪学院大学法科大学院教授を経て、現在一橋大学名誉教授。法学館憲法研究所客員研究員。