『憲法九条裁判闘争史』(その2)  
2012年10月29日
内藤功さん(弁護士)

前回からのつづき>

―――内藤さんは司法のあり方を考える上で大切な理念を語っていただいているように思います。
 『憲法九条裁判闘争史』の出版にあたって内藤さんは「我、自衛隊員を愛す 故に、憲法九条を守る」と語っています。この点についてもご説明ください。

(内藤さん)
 元自民党代議士の故・箕輪登さんは「我、自衛隊を愛す 故に、憲法九条を守る」と言いました。私は「自衛隊を愛す」ではなく「自衛隊員を愛す」としました。自衛隊は国家権力の武力集団です。憲法違反ともいわれる存在です。しかし、自衛隊員は国家公務員として入隊の際に憲法を遵守すると宣誓し、そして過酷な仕事にあたっています。自衛隊という組織に対する評価と自衛隊員個人に対する評価は区別して考えるべきです。
 いま自衛隊はついに海外にまで派遣されるようになり、そこで武器を使用することにもなってきています。実際に殺傷、破壊、侵入、強取等の訓練が行われています。防衛省は精強な武力集団づくりを進めており、その結果事故が増え、また自衛隊内でのいじめやパワハラ、自殺などが多発し、現職隊員の提訴や法律相談が急増しています。いままでになかったことです。こうした状況をなくし、私は自衛隊を災害救助のための組織に全面改変していく必要があると考えます。
 司法について考える場合にも、憲法を守り、活かすということを大事にしなければなりません。

―――『憲法九条裁判闘争史』には内藤さんの弁護士としての歩みについても綴られていますが、それも司法のあり方を考える上で示唆することが多いと思いますので、ご紹介ください。

(内藤さん)
 私は戦時中に海軍経理学校に入校しました。戦地に行くことはありませんでしたが、そこで軍隊が敵兵を殺す任務の組織であることを具体的に見聞きしました。その経験から、戦後は二度と戦争をしてはならない、憲法9条を守る、ということが私の拭うべからざる信念となりました。
 弁護士となった私は明治大学の講師として労働法の講義をしてきました。その縁で、やがて私は当時の労働組合である総評の弁護団の一員になりました。当時の労働組合は当然のように平和運動に取り組んでおり、それで私は砂川事件の弁護団に加わることになりました。『憲法九条裁判闘争史』では砂川事件の訴訟経過などについても明らかにしています。
 砂川訴訟に次ぐ恵庭訴訟では、私はたびたび北海道に足を運ぶことになりましたが、私は自衛隊や米軍に関わる資料などをハガキ大のカード352枚に貼り付けて整理し、繰り返し読んで頭に入れ、その危険性などを事実にもとづいて裁判所に訴えるよう務めました。
 続いて長沼訴訟があり、その第一審で福島重雄裁判長が自衛隊を違憲とする判決を書きました。私はその後在野法曹となられた福島さんと対談したことがあり、『憲法九条裁判闘争史』では福島さんの平和への思いの背景に何があるのかを、私なりに分析しています。
 私の弁護士としてのこうした経験が若い人たちの参考になれば嬉しく思います。

―――多くのことをお話ししていただきました。本日はありがとうございました。
 
【内藤功さんのプロフィール】
1931年生まれ。弁護士として、砂川事件、恵庭事件、長沼事件、百里事件の基地訴訟にたずさわる。
1974年からは参議院議員を二期務める(日本共産党から)。
現在、日本平和委員会の代表理事を務める。
イラク派兵違憲訴訟全国弁護団の顧問も務める。
著書に『よくわかる自衛隊問題』(学習の友社)、『朝雲の野望』(大月書店)がある。2012年10月、『憲法九条裁判闘争史 −その意味をどう捉え、どう活かすか』(かもがわ出版)を出版。