【村井敏邦の刑事事件・裁判考(16)】
裁判員裁判とアスペルガー症候群
 
2012年9月3日
村井敏邦さん(大阪学院大学法科大学院教授)

7月30日の裁判の問題点

 7月30日、発達障害がある男性が実姉を刺殺した殺人被告事件についての裁判員裁判において、大阪地方裁判所第2刑事部は、検察官の求刑(懲役16年)を超える懲役20年の判決を言い渡しました。
 判決は、この男性がアスペルガー症候群という精神障害状態にあったことを認め、また、事件はその精神障害の影響下において行われたことを認めました。通常、精神障害の影響下での行為は、程度の差がありますが、責任能力に関係してきます。しかし、裁判所は、この男性の精神障害は、責任能力に影響の無い程度のものだとしました。そのうえ、@「いかに精神障害の影響があるとはいえ、十分な反省のないまま被告人が社会に復帰すれば・・・被告人が本件と同様の犯行に及ぶことが心配される」こと、A「社会内で被告人のアスペルガー症候群という精神障害に対応できる受け皿が何ら用意されていないし、その見込みもない」ことを理由として、「被告人に対しては、許される限り長期間刑務所に収容することで内省を深めさせる必要があり、そうすることが、社会秩序の維持にも資する」として、有期懲役刑の上限にあたる量刑を行いました。
 この判決は、@検察官の求刑を4年も超えて、有期懲役刑の最高刑を言い渡したこと、Aアスペルガー症候群の影響下の行為であることを認めながら、責任能力への影響を否定したこと、B懲役刑の最高刑を言い渡す理由を、アスペルガー症候群の影響によるとはいえ、十分な反省のないまま被告人を社会に復帰させれば、また犯行を繰り返すおそれがあり、また、アスペルガー症候群に対応できる受け皿が社会内で用意されていないことを挙げたことにおいて、大変議論を呼ぶ内容となっています。

検察官の求刑を超える量刑

 検察官の求刑は、検察官の意見ですから、裁判所の量刑判断を拘束する力はありません。したがって、求刑を超える刑罰がくだされても、それ自体では法的にはまったく問題はないわけです。しかし、これまでの裁判所の量刑判断は、検察官の求刑をひとつの基準として、ほぼその8割程度が妥当なところだ、というような「量刑相場」ができあがっていたといえるでしょう。
 このような「量刑相場」ができたのは、検察官は高めの求刑を行うものだという観念を前提として、その8割程度ならば、検察官も不満を持たず、被告人側もまずまずという気持ちを持つだろうという思いがあったのでしょう。このような「量刑相場」形成の心理的基盤には、求刑を超える量刑というのは想定外だったということです。
 もちろん、このような「量刑相場」というのは、何の根拠もなく、極めて不安定なものですから、求刑に縛られない、より明確な量刑基準を作るべきだという声は、強く出されていました。これまでの裁判例を基準にした量刑基準の作成もその試みの一つです。
 これまでの裁判官による裁判においても、求刑を超える量刑はありました。しかし、その数は少なく、また、特定の裁判所、裁判官に限られていたといってよいでしょう。また、逆に、求刑を大幅に下回る量刑というのも稀でした。その意味では、裁判官たちは「量刑相場」に従っていたということになるでしょう。
 裁判員裁判になってからはどうでしょう。
 最高検によると、本年7月20日現在で、求刑を上回る量刑が言い渡された事案は、26件あるということです。これらの事案のほとんどは、1、2年上回っているというものですが、今回の事件の求刑と量刑の幅は4年ということで、異例の高さということになるでしょう。これまでのところ、求刑と量刑の幅が最も大きかったのは、今年の3月21日の子どもを虐待死させた傷害致死事件で、懲役10年の求刑に対して1・5倍の懲役15年を言い渡しています。今回の判決の量刑は、これに次いだものといえます。

アスペルガー症候群と責任能力

 2005年に制定された発達障害者支援法によると、発達障害は「自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能の障害であってその症状が通常低年齢において発現するもの」とされています。アスペルガー症候群は、「広汎性発達障害」に含まれる精神障害です。アスペルガーを含む広汎性発達障害は、@対人的相互反応における質的な障害、Aコミュニケーションの質的な障害、B行動、興味などの限定された反復的なステレオタイプ様式という三つの特性があるとされます。アスペルガーの人は、知的認識の発達レベルにおいては平均よりも高く、社会性の発達程度は低いとされるのは、とくにコミュニケーションの質的障害という特性によると考えられます。
 広汎性発達障害については、早期に発見されてその症状にあった対応がされさえすれば、社会生活も問題なくできます。しかし、発達障害に周りや本人が気づかないまま成長すると、一般の人とのコミュニケーション上の軋轢が生じ、本人が引きこもりという状態に陥ったり、時には、他人と衝突して問題行動に発展するということがあります。
 本件の被告人男性は、小学校のときから引きこもりを続け、被害者の姉が生活用品を届けるなど、面倒を見てきました。事件の発端は、「食費などは自分で出しなさい」との姉の書き置きを見たことにあるようです。アスペルガー症候群の人にとって、「自分で考えろ」とか「自分でしろ」と言われることは、突き放されたように感じ、パニックに陥ると言われています。被告人男性が姉が自分に報復していると考え、姉殺害を決意したのは、そうした精神症状の表れと考えられます。
 判決でも、「犯行動機の形成過程は通常人には理解に苦しむものがあり・・・被告人にアスペルガー症候群という精神障害が認められることが影響している」と認定しています。また、判決は、被告人が未だ十分な反省に至っていないことを量刑を重くする事情としていますが、この点についてもアスペルガー症候群の影響があり、「通常人と同様の倫理的非難を加えることはできない」と認定しています。
 このように、判決は、本件犯行の動機形成から、犯行行為、さらには犯行後精神状態に至るまで、アスペルガー症候群という精神障害の影響を認めながら、責任能力への影響を否定しました。しかし、責任能力のひとつの判断基準としては、通常人によって了解可能可能か否かという点が挙げられ、その点からするならば、判決は「通常人には理解に苦しむものがある」としているのですから、責任能力への影響をまったく否定するというのは、矛盾だということになります。
 もっとも、裁判官による裁判を含めて、これまでの裁判においてアスペルガー症候群を含む広汎性発達障害下の犯行として責任能力の軽減を認めたものはありません。今回の判決もその流れの中にあるわけですが、なぜそうなのか、その妥当性については慎重な検討を必要とします。
 しかし、今回の判決の最も問題な点は、上記Bの量刑事情として挙げられている事実です。

アスペルガー症候群と量刑

 これまでの裁判では、アスペルガー症候群の故に責任能力を軽減・否定したものはありませんが、量刑においては、それを考慮して刑を多少なりとも低くしていました。アスペルガー症候群を否定したケースでは、執拗性、残虐性が高いなどを理由として、死刑を言い渡したものも見られます。
 しかし、今回の判決は、アスペルガー症候群であることを刑を重くする理由にしています。犯行自体の執拗性、残虐性に加えて、十分な反省がないまま社会復帰すると、再犯の可能性があることとアスペルガー症候群に対する社会の受け皿がないことを理由にして、社会秩序の維持から考えうる最高刑を言い渡したとしています。
 人格障害とか、精神病質とかを理由として、刑を重くした判決は、これまでも見られました。しかし、今回の判決ほど明確に社会秩序の維持を前面に出して、できる限り社会から隔離する必要があるとしたものは、ないと言ってよいでしょう。
 しかも、今回の判決は、アスペルガー症候群に対する誤解、あるいは偏見を前提として、量刑を行なっています。まず、アスペルガー症候群そのものに反社会性を認めている点が、大きな誤解、偏見です。上述のように、アスペルガー症候群にある人は、社会性の発達に障害があります。しかし、これは、反社会的であることではありません。社会の側がその症状を理解して対応しさえすれば、十分に社会的活動ができ、現に、アスペルガーと認められる人の多くが、問題なく社会的活動を行なっています。
 また、社会における受け皿の点ですが、最近では、アスペルガー症候群についての社会的認知度も深まり、発達障害支援センターや地域生活停車着支援センターなどがアスペルガーを含む発達障害の人たちを支援する体制が整備されてきています。また、発達障害の家族の会などの自助グループもできてきています。
 今回の判決は、このような動きにまったく配慮することなく、ただ家族が受け入れを拒んでいるという理由だけで、社会での受け皿がないと結論づけており、この点においても、アスペルガー症候群への偏見を前提としているという批判の声はもっともだと言わざるを得ないでしょう。

裁判員裁判の適否

 今回の判決をめぐって、裁判員裁判の是非が論じられています。ある論者は、裁判員裁判の弊害が暴露されたとして批判しています。他方、社会秩序を守るという裁判員の感覚が反映した、裁判員裁判の本来のあり方に合致する判決だと、評価する論者もいます。
 しかし、このような論評はどちらも一面的だと思われます。裁判員裁判にも改善しなければならない問題点が多くあります。他方、問題点があるからといって、制度そのものを全否定すべきものでもありません。
 今回の判決について言うならば、果たして裁判官は、裁判官としての役割を果たしたのかが問題になります。評議が公開されていない以上、どのような過程で議論がすすめられたか、まったくわかりませんが、少なくとも、法律の専門家としての裁判官は、偏見や予断が評議を支配するような事態になった場合には、それが法の原則に反することを評議の場で明確に表明し、そのような事態を回避するように努力すべきでしょう。果たしてそのようなことが行われたのだろうか、大いに疑問となるところです。
 精神障害の影響を肯定しながら、その影響を過大に評価すべきではないというにとどまらず、その影響よりも社会秩序の維持を優先すべきであるという判断は、責任主義という刑法の原則に反することです。この原則に基づく量刑判断をすべきことを説くのは、裁判官の役割以外にはありません。
 最後に、今回の判決は、量刑判断に先立って、量刑のための資料を、発達障害についての専門家や処遇の専門家を交えて調査するという手続きを欠いている、日本の刑事司法の欠点を如実に示したものとなっていることを指摘しておきたいと思います。この点は、裁判員裁判の適否ということではなく、刑事司法全体に関わることです。
 
【村井敏邦さんプロフィール】
一橋大学法学部長、龍谷大学法科大学院教授、大阪学院大学法科大学院教授を経て、現在一橋大学名誉教授。法学館憲法研究所客員研究員。