【村井敏邦の刑事事件・裁判考(15)】
名張事件再審開始決定とその取消の効果
 
2012年8月6日
村井敏邦さん(大阪学院大学法科大学院教授)

名張事件における再審開始および再審開始決定取消の効果

 再審開始決定は、刑事訴訟法448条1項によって行われます。同条の2項は、「再審開始の決定をしたときは、決定で刑の執行を停止することができる」としています。名張事件第7次再審請求審はこの規定によって、死刑の執行を停止する決定を行いました。
 死刑の確定判決がくだされた事件において、刑の執行を停止するということはどういう意味をもっているのでしょうか。
 まず第一に、死刑の執行ができないという効果があります。再審開始の決定があって、これから改めて再審公判が開かれ、事件について有罪か無罪かが新たに審理されるというのに、死刑が執行されたのでは、そのような審理ができなくなるわけですから、何はさておいても、死刑の執行はできないようにしておかなければなりません。しかも、無罪にすべき明らかな証拠が新たに発見されたということで、再審開始決定が行われたわけですから、再審公判において無罪となる可能性は高いのです。そのような場合に、刑を執行することは、それ自体不正義というべきでしょう。したがって、本来は、再審開始決定には自動的に刑の執行停止の効果が与えられるべきです。執行停止の決定をしなければ、執行される可能性を残すべきではないのです。さらに、448条2項は、「停止することができる」としているので、裁判官の裁量によっては停止しないこともできるかのようです。しかし、ここには裁量の余地がないと考えるべきでしょう。

刑の執行停止と再審請求人の身体拘束

 再審請求人の刑が懲役刑の場合には、刑の執行停止は、当然に身体拘束からの解放を意味します。東電OL殺人事件についても、再審開始決定が出され、同時に刑の執行停止の決定も出されました。この決定によって、再審請求人のゴビンダさんは釈放されました。これに対して、名張事件の場合には、刑の執行停止決定が出ても、奥西さんは釈放にはなりませんでした。どうしてでしょう。
 死刑の執行停止の効果は、死刑を執行しないというだけで、死刑受刑者の身体拘束を解く効果まではもたないのでしょうか。

死刑における拘置の意味

 死刑は生命を奪う刑であって、身体の自由を奪う刑ではありません。しかし、実際には、死刑が確定すると、死刑受刑者は、死刑の執行まで拘置所に拘置されることになっています(刑法11条2項)。一体、この「拘置」という処分はどういう意味があるのでしょう。
 「拘置」が刑の執行そのものではないことは明らかです。死刑を執行するためにする身体の確保ですから、「勾留」という処分と似た性格をもっています。そこで、拘置されている死刑確定者は、自由刑が確定した受刑者ではなく、確定前に勾留されている未決拘禁者と同様に扱うというのが、旧監獄法時代の取り扱いでした。旧監獄法が廃止されて、刑事収容施設及び被収容者の処遇等に関する法律に代わってからは、死刑確定者についての規定が別個に設けられることになりましたが、基本的な性格はそれ以前と違わないはずです。
 死刑の執行停止によって死刑執行のための拘禁も必要がなくなります。このように考えるならば、死刑の執行停止決定があれば、当然にその付随的処分である「拘置」も執行停止されるということになります。
 このような考え方に対して、再審開始決定が確定しても、確定判決の効果はなくならないという見解もあります。この見解では、再審開始決定と同時に、死刑執行停止決定が出されても、確定裁判の効果として「拘置」の執行は停止されないとします。

裁判所の見解は?

 死刑再審4事件のうち、松山事件では、再審決定をし、刑の執行停止決定も出した仙台地裁は、死刑の執行停止決定には拘置の執行停止も含まれるという見解をとりました。刑訴法448条2項の「再審開始の決定をしたときは、決定で刑の執行を停止することができる」という場合の「「刑の執行を停止する」とは、刑法11条1項の死刑(絞首)の執行を停止することの外、同条2項の拘置の執行を停止することをも含むものと解するのが相当である」(仙台地裁1984年3月6日見解)という見解を表明したのです。
 ただし、他方で、拘置の執行を停止するには、刑の執行停止のほかに、拘置の執行を停止することを明示的に表明する必要があるともしました。
 これに対して、同じく死刑再審4事件の中の免田事件では、再審開始があっても確定判決の効力は失われず、再審開始後も死刑確定者は受刑者としての地位のままで、したがって、拘置の効力は継続するという見解が出されました(熊本地裁八代支部1981年6月5日見解)。
 後者の熊本地裁の判断では、再審が開始されても、一旦死刑の確定判決を得た人は、無罪判決が確定するまでは、受刑者としての地位のままで、身体拘束が停止されることはないというのですから、冤罪からの救済という再審制度の意味を薄めていると言わざるをえません。
 前者の仙台地裁の見解は、執行停止には拘置の執行停止も含まれるとしながら、別に拘置の執行停止の決定が必要としているところに、結局、拘置は刑の執行停止の効果の外にあるということになり、不徹底であると評価されるでしょう。

名張事件において

 名張事件では、再審開始決定を出した名古屋高裁刑事第1部は、再審開始決定とともに、死刑の執行停止決定も出しました。これに対して、検察官が異議を述べ、異議審である名古屋高裁刑事第2部は、再審開始決定を取り消して、再審請求を棄却する決定を出しました。その際、「刑訴法435条6号,448条1項により再審を開始し,同条2項により刑の執行を停止した原決定の判断は失当である」として、「刑訴法428条3項,426条2項により原決定を取り消し,同法447条1項により本件再審請求を棄却する」としましたが、執行停止決定を取り消すとは明示していません。その後、最高裁の差戻し決定を受けて、再び再審請求を棄却した差戻し異議審決定でも、まったく同様の内容になっています。死刑執行停止決定の効果はどうなっているのでしょうか。
 先に述べたように、死刑執行停止決定後も、奥西さんは拘置所に拘置されたままです。この決定によって処遇上何か違いがあったでしょうか。

死刑確定者の処遇

 死刑確定者については、刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律(処遇法と略称)36条は、次にように定めています。
@死刑確定者の処遇は、居室外において行うことが適当と認める場合を除き、昼夜、居室において行う。
A死刑確定者の居室は、単独室とする。
B死刑確定者は、居室外においても、第32条第1項に定める処遇の原則に照らして有益と認められる場合を除き、相互に接触させてはならない。
 以上のように、死刑確定者は、基本的に、常に一人で居室内で過ごし、他の被収容者との接触を認められていません。
 このような取り扱いに対しては、国連からは、他との接触を認めるように改善すべきであるとの勧告を受けています。なお、処遇法32条1項は、「死刑確定者の処遇に当たっては、その者が心情の安定に得られるようにすることに留意するものとする」としています。この「心情の安定」が問題で、これまでは、死刑確定者との面会を申し出ても、「心情の安定」を害するという理由で、面会を拒否する理由として機能してきました。私自身も、名古屋拘置所に奥西さんに面会に行ったのですが、この理由で拒否されたことがあります。その時にも、一体「心情の安定」とはどういうことなのか、一律的に外部の人間と会うことがどうして「心情の安定」を害することになるのか、むしろ、外部との接触もなく、単独室で死刑の執行を待つだけというほうが、心の平穏を保てないのではないかなどと、議論をしましたが、結局、当時は、特別の通達があるということで、面会ができずに帰ってきました。この「心情の安定」が、少し形を変えてですが、法律に盛り込まれたのが、上記の規定です。

奥西さんの処遇

 刑の執行停止には、拘置の執行停止は含まれないとした免田事件決定でも、処遇上は配慮すべきだとしています。刑の執行停止に拘置の執行停止も含まれるとするならば、執行停止後の処遇は基本的には自由であるべきです。仮に、松山事件決定のように、拘置の執行停止には明示の決定が必要という見解をとったとしても、拘置所に収容されるというだけで、その他の取り扱いにおいては、塀の外にいるのと同様の状態が保証されるべきでしょう。
 その点からするならば、外部からの面会に対して、上記のような「心情の安定」による制限をすべきでなく、本人が拒否している場合以外は、面会を認めるべきです。また、他の被収容者との接触についても制限はできないはずです。本人が望む限りでは、単独室から共同室に移すべきでしょう。医療についても、外部の医療機関での診察、治療が認められなければなりません。
 奥西さんについて、このような措置がとられたということは聞いていません。むしろ、逆の取り扱いがされて、問題となりました。

手錠のままの診察・治療

 再審開始決定取消後、奥西さんは体調不良となり、外部の病院での治療が必要になりました。この治療にあたって、施設側は職員が付き添ったのはよいとして、施設職員は奥西さんに片手錠のまま治療を受けさせました。一体、手錠をしたまま治療をするという必要があったのでしょうか。奥西さんはとく暴れていたのではなく、むしろ、緊急の治療を受けなけれならないほど、危険な状態だったのです。そのような人が手錠で拘束しなければ逃走するなどの危険があるということは考えられません。
 施設側の判断は、奥西さんの拘置は継続しているので、拘束状態にあるということで手錠のままの治療にしたということでしょう。しかし、上で述べたような理論的問題はひとまず置いたとして、これが人間的取り扱いとして許されるかです。あまりにも非人道的な取り扱いでしょう。人権団体からの抗議を受けたのは当然です。
 このように、名張事件には、冤罪問題以外に、死刑確定者の処遇という点においても、いろいろと問題があるのです。
 
【村井敏邦さんプロフィール】
一橋大学法学部長、龍谷大学法科大学院教授、大阪学院大学法科大学院教授を経て、現在一橋大学名誉教授。法学館憲法研究所客員研究員。