裁判員裁判  
2012年7月23日
前田義博さん(弁護士)

* 以下、名古屋第一法律事務所のホームページに2012年6月28日付けで掲載された前田義博さんの論考をご本人と事務所の御承諾を得て転載します。

 裁判員裁判制度ができて、ようやく本来の刑事裁判が実現しました。
 それまでは、警察や検察官が作った捜査書類を裁判官が裁判官室で読んで裁判していました。証人尋問をやる場合でも、その証人尋問を聞いた裁判官は転勤して、後任の裁判官が証人調書を裁判官室で読んで判決を書くということがしばしばありました。証拠調べが終わってから述べる意見(弁論)も文章による説得で、あとで裁判官が裁判官室で読むことを前提にしていました。
 だから、他人がやっている裁判を傍聴席で聞くと、弁護士である私でさえ、何をやっているのかわからないこともありました。
 ところが裁判員裁判になると、証人尋問が裁判の中心になり、それもその場で心証(この証人は本当のことを言っているのか、嘘を言っているのか)をとります。弁論は文章による説得ではなく、口頭による説得に変わりました。すべては法廷中心の審理になったのです。
 もともと刑事訴訟法はこのような裁判を前提にしていたのです。弁論という言葉だって、当然口頭による説得を意味していたのです。だから、ようやく本来の刑事裁判が実現しましたと言ったのです。

 また、裁判員が裁判に加わることで、さらに刑事裁判が大きく変わりました。市民から見れば、弁護士も職業裁判官も一種の身内です。しかし説得の対象に市民から選ばれた裁判員も含まれることになったので、文章から口頭への変化だけではなく、弁論の内容も大きく変わりました。簡単に言えば、身内にだけ通用する理屈では通らなくなったのです。
 古い裁判制度になじんだ弁護士にとって裁判員裁判は大変です。裁判員裁判大歓迎の私でも、原稿を見ずに裁判員の顔を見て説得することに四苦八苦しています。
 新しい制度についていけないからやれないとは言いにくいので、裁判員裁判はパフォーマンスの裁判だからいやだとか、文章ではなく口頭による説得なんてラフだからやらないという人もいます。
 しろうとの市民の判断を疑問視する人もいます。市民の中にも難しいことはいやだとか、負担が重いという人もいるようです。
 でも、だからといって難しいことはお上(かみ)にお任せしたいということになるのでしょうか。日本の安全保障をどうするのか、福祉の財源をどうするのかという問題だって難しい問題ですが、だからといって、そういうことはお上にお任せしようということにはなりませんよね。