三鷹事件の再審に向けて  
2012年7月9日
高見澤昭治(弁護士・三鷹事件再審弁護団団長)

三鷹事件の時代背景と訴訟経過

 1949年夏に立て続けに起こった下山、三鷹、松川事件は戦後史の三大謀略事件といわれる。これらの事件を切っ掛けに、当時最強の労働組合だった国労をはじめ労働組合や共産党に攻撃が仕掛けられ、「整理」といわれた大量の首切りが強行され、翌年には朝鮮戦争が勃発、占領政策が大きく右旋回することになる。
三鷹事件では、三鷹駅構内で電車が暴走し、ホームにいた乗降客など6名が死亡し、20名ほどが重軽傷を負った。事件直後から共産党員である労働運動の活動家が次々と逮捕され、「共同謀議」による共同犯行だとして起訴され、3名に死刑、2名に無期懲役刑が求刑された。しかし、一審判決は「被告人らの共謀による犯行であるとされる公訴事実は、いわば実態のない宮中楼閣である」と、これを退けた。
 ところがその同じ判決で、共産党員でもなく、活動家でもなかった竹内景助がただ一人、無期懲役を下され、二審は事実調べを全くすることなく死刑に変更、最高裁で8対7の僅差で上告を棄却され、死刑が確定した。竹内は、二審で死刑判決を受けた後は一貫して無実を主張し続け、再審を申立てて10年間、文字通り懸命に闘ったが、1967年1月に「脳腫瘍」のために獄死した。5人の子供と妻を残し、当年45歳であった。

無実の竹内が有罪とされた根拠

 竹内は過酷な取調にもかかわらず、逮捕されてから20日間、無実を主張し通した。ところが、他の被疑者が過酷な取調に耐えられず、竹内が犯行に加わり運転席で電車を暴走させたと“自白”し、それを突きつけられた竹内も、犯行を認めるに至った。
 竹内の有罪判決の証拠とされるのは、「自白」と現場から竹内が自宅の方向に向って歩いているのを見たという、”目撃証言“だけである。
 ところが、その“自白”も、当初は自分だけの「単独犯行」であると主張し、起訴後、第一回公判までの間に一時「共同犯行」の供述調書も作られたが、起訴後は他の被告人が無実を主張する中、自分の「単独犯行」であるとしていたが、後半の法廷で「無実」を強力に訴えた。しかし、結審間際にまた「単独犯行」に転じ、それが決定的な証拠とされた。その経過と、なぜそのような供述をするに至ったかを短い文章で説明するのは難しいので、是非とも拙書『無実の死刑囚 三鷹事件 竹内景助』(日本評論社)を読んでいただきたいが、一言でいうと、有罪であれば死刑を免れない他の被告人を救うための、犠牲的な七転八倒の苦しみであった。
 このような自白には、任意性も信用性もあるはずがない。
 また、確定判決の認めた犯行態様は、構内に落ちていた針金と紐を使ってコントローラーの鍵を解除し、走行する間にバネ仕掛で元に戻ってしまうハンドルを固定するために紐で縛り、電車が動き出したので運転席から飛び降りたということになっている。ところが、これは竹内が逮捕される前に新聞に写真入で報じられたものをなぞっただけのものであり、しかも暗闇の現場の状況などからすると、物理的にありえない。
 さらに、目撃証言も、犯行自体を現認したということではないばかりか、実際は月齢からしても暗い中で、5メートルも離れたところで見たというに過ぎず、しかもその法廷での証言は、しどろもどろといった内容で、これを信用した判決には驚かざるを得ない。

再審申立と証拠開示に向けた三者協議の開始

 竹内は、実際は事件当時、構内の風呂場で職場での知り合いと入浴中で、そのことは生前に申立てた再審請求において、何人もが具体的にその時の状況を証明する書面を作成し、裁判所に提出している。また、針金や紐は構内に存在しないので簡単に探せるはずがないとか、竹内がこのような重大な事件を起こす性格や人物でないことも、多くの同僚だったものが証明している。
 竹内自身、膨大な「再審理由補足書」を作成し、なぜ“自白”したかを詳細に記述し、犯行態様についても、それが現実にはありえないことを、根拠を挙げて縷々展開している。しかし残念なことに、同人の申立てた再審は「竹内の死亡により終了」するとされ、その後44年間が経過した。
 ところが、上記の本を読んだ竹内景助の長男が父親の冤罪を晴らすために、昨年11月10日、再審を申立てた。その際、生前の再審で提出済みの上記の証拠に加え、暴走した電車のパンダグラフなどを解析した結果、犯行は一人で行なわれたものではないとする東大名誉教授の鑑定書など、新たに28点の新証拠を提出した。
 事件は、東電OL殺人事件や狭山事件も取扱っている東京高裁刑事4部に係属することとなり、弁護団ではこの2月2日に「証拠開示命令」を申立て、7月13日、第一回の三者協議が予定されている。最近の再審事件の動きも影響しているものと思われるが、他の再審事件に比べて三者協議の開催が早くに決まり、検察庁が提出しなかった証拠が多数存在する中に竹内の無実を証明するものが存在することは明らかなことから、その成り行きが大いに期待される。
 三者協議の直後、当日6時半から日比谷図書館の会議室で報告集会を予定しているが、竹内本人の無実とともに、歴史の真実を明らかにするためも、皆さんのご支援を切にお願いする次第である。