【村井敏邦の刑事事件・裁判考(9)】
福井市女子中学生殺害事件の再審開始(その1)
 
2012年1月9日
村井敏邦さん(大阪学院大学法科大学院教授)

 福井市の女子中学生が殺害された事件で、懲役7年の刑に服したMさんの再審開始決定が出ました。再審請求の過程で、弁護側が検察官の手持ち証拠の開示を請求し、2度にわたる裁判所の勧告の結果、検察官はやっと開示請求に応じたという経緯がありました。この決定の根拠となった証拠は、この証拠開示の結果開示されたものでした。
 村木事件では、証拠改ざんが問題となり、足利事件、布川事件では、検察官による証拠隠しが問題になりました。Mさんの事件でも、この証拠隠しが行われていたのです。そこで、この事件を中心として、証拠開示の問題を考えてみたいと思います。

事件の概要
 1986(昭和61)年3月19日午後9時40分頃、福井市の市営住宅Fさん宅で、Fさんの次女のE子さんが殺害されました。翌日の午前10時過ぎにFさんが勤務先から戻ると、頚部に包丁が刺さった状態で血まみれになって死亡しているE子さんを発見しました。E子さんの遺体には、刃物で付けたであろうと考えられる刺し傷、切り傷などが多数あり、また、前額部と後頭部には殴打の後が、首には締めたと思われるひもの跡が残されていました。遺体の近くには、首に刺さっていたのとは別の包丁が1本置いてありました。

Mさんが犯人とされた経緯
 被害者の殺害方法の残虐さから、捜査本部では、当初から精神異常者か、覚せい剤やシンナーの嗜癖者の行為であるとして、その関係者を中心として犯人捜査をしていきました。Mさんは、当時、シンナーを吸引していたので、一度取り調べを受けましたが、捜査本部では、Mさんについては犯人と結びつく証拠はないとしました。ところが、その後取り調べたAからMさんの名前が出、さらに、Aの供述に出てきた人物を取り調べて行って、Mさんが事件当日血だらけ服装で白い自動車に乗りこんできたなどという供述が現れてきました。この供述に沿った白い自動車が見つかり、その自動車の中から、被害者の血液型と同一の血痕が発見されました。しかし、この血痕については、鑑識の結果、被害者のものではないということが判明しました。そのほかには、自動車の中からも、被害現場からも、Mさんを犯人とする証拠は見つかりませんでした。被害者の殺害された室内から採取された毛髪99本のうちの2本がMさんの毛髪と同一と考えられるという鑑定が出され、唯一の客観的証拠でした。捜査当局は、この毛髪鑑定と目撃供述を中心として、Mさんを犯人として逮捕し、1987(昭和62)年7月13日、殺人罪で起訴しました。
 Mさんは逮捕の当初からアリバイを主張しており、公判になってからも終始一貫否認をしていました。

裁判の経緯
 公判では、Mさんが全身血だらけで自動車に乗ってきたとの供述その他、事件の発生した時刻ころ、あるいはその数時間後に右事件現場付近やその他の場所でMさんがその着衣等に血を付着させているのを目撃したとする複数の関係者の供述、Mさんから本件を犯した旨の告白を聞いたとする関係者の供述などの信頼性が検討されました。
 審の福井地方裁判所は、上の供述の一つ一つを詳細に検討した結果、いずれも信用できないとし、また、Mさんの毛髪だとする鑑定結果についても、信頼できないとして、1990年9月26日、Mさんに無罪を言い渡しました。
 ところが、控訴審は、目撃供述と毛髪鑑定のいずれも信頼できるとして、一審判決を覆し、1995(平成7)年3月22日、Mさんに懲役7年の有罪判決を言い渡しました。1997 (平成9)年11月12日、最高裁判所もこの有罪判決を維持し、異議申し立ても棄却されたため、11月21日、Mさんの有罪が確定しました。

再審請求
 Mさんは、刑務所から出所後の2004年に再審を申し立てました。この再審申立て中で、弁護団は、検察官に手持ち証拠の開示を要求しましたが、検察官はかたくなにこれを拒みました。再審請求審の名古屋高等裁判所も、2度にわたって証拠開示の勧告を行った結果、2008年に至って、検察官は、やっと開示に踏み切りました。
 開示されたのは、殺害現場の状況写真29通、捜査段階の供述調書など125点です。弁護団では、これらを検討した結果、被害者の受けた傷が凶器とされた包丁とは別のものである可能性があることを発見し、裁判所に鑑定を請求し、その結果、凶器によっては被害者の傷は生じえないとの鑑定結果が出されました。そのほか、新証拠の中には、有罪判決の基礎となった供述の信用性に疑いを生じさせる証拠など、Mさんに利益な証拠が発見されました。こうした証拠が確定前の公判に出されていれば、Mさんは有罪にはならなかったと、弁護団では、検察官の証拠隠しを批判しました。
 2011年11月30日、名古屋高等裁判所金沢支部は、Mさんの事件について再審を開始するとの決定を出しました。

証拠開示について
 Mさんの事件では、再審請求段階での検察官の手持ち証拠の開示が大きな意味を持っていました。検察官が公判には出さない証拠の中に被告人の無罪を示すような証拠が隠されていたということは、Mさんの再審請求が初めてではありません。最近の事件では、足利事件や布川事件でもありました。
 証拠開示が問題になった有名な事件としては、松川事件があります。
 この事件では、1審、控訴審は死刑を含む有罪判決を言い渡し、最高裁判所の段階で、被告人のアリバイの存在を示す証拠が、捜査官の手もとに隠されていたということが判明し、それが裁判所に提出されて、被告人の無罪が確定しました。
 学者や弁護士などの実務家の中からは、検察官の手持ち証拠を開示すべきだという主張が強く出され、現在、裁判員裁判制度の採用に伴って、証拠開示の制度も、松川事件の時代と比較すると、格段に進展しました。その進展の結果、今回の再審開始決定になったということもできます。しかし、被告人に利益な証拠を開示せよという主張に対しては、検察官は強く反発しています。(次回に続く)

 
【村井敏邦さんプロフィール】
一橋大学法学部長、龍谷大学法科大学院教授、大阪学院大学法科大学院教授を経て、現在一橋大学名誉教授。法学館憲法研究所客員研究員。