裁判員制度の憲法適合性  
2011年12月12日
大出良知さん(東京経済大学現代法学部教授)

 11月16日、最高裁大法廷は、裁判員制度を憲法に適合するとの初めての判断を示した。実施開始から二年半、ともかくも順調にスタートした裁判員制度に、なお、関門の一つとして残っていたのが、憲法適合性の問題であった。制度設計時点から強い反対論があり、憲法適合性をも争ってきたからであり、いずれ最高裁の判断が求められるであろうことが当初から予想されていた。
 しかも、制度導入への過程での反対論・違憲論の背景には、最高裁当局の国民参加への強い反対があった。国民参加制度の導入への方向性が動かないものになった時点でも、最高裁当局は、「評決権なき参審」を主張したりしていた。すなわち、「参審員」として法廷で裁判官と並ぶことは認めるものの事実認定や量刑判断の権限は与えない、という主張であった。
 さらに、導入が決まってからも、裁判員の人数を2名ないし3名に絞ることを強く要求していたといわれる。要は、裁判は、専門家である職業裁判官の仕事であり、「素人」には任せられないということであったであろう。違憲論の実質的根拠も同じであった。
 しかし、導入に当たって、既に違憲論は克服されていたといってよい。それは、いみじくも大法廷判決が指摘するように、「憲法が採用する統治の基本原理や刑事裁判の諸原則, 憲法制定当時の歴史的状況を含めた憲法制定の経緯及び憲法の関連規定の文理を総合的に検討し(た)」結果であった。すなわち、大法廷判決は、その成果に依拠した概ね常識的な判断であり、最高裁自身が、違憲論を克服したことを明確に示した点で歴史的な判決になった。
 特に、憲法原理と歴史的経緯からの判断は重要である。世界史的視野から、日本国憲法制定時の欧米における民主主義的な視点からの国民参加の導入に触れた上で、日本国憲法前文が、あらゆる国家の行為が、「 国民の厳粛な信託による」とする国民主権の原理を宣言し、国民参加にも関心を払っていたことを明確に認めた。それゆえ、旧憲法による「裁判官」による裁判(24条)の保障から、日本国憲法の「裁判所」による裁判(32条、37条1項)の保障へと転換したこと。そして、裁判所法3条3項は、わざわざ国民参加の「陪審の制度を設けることを妨げない」と規定したことをあらためて確認したのである。
 そのような理解からすれば当然であるが、裁判員の職務等が、「負担」であるにせよ、「司法権の行使に対する国民の参加という点で参政権と同様の権限」であることも明確にした。 以上のような最高裁の判断は、憲法の内容に言及していることからも明らかなように、実は、憲法が制定された60余年前に確認されていたことでもあった。それが今回、最高裁によって確認されたということでしかない。その意味では、「素人」を排除しようとし、裁判員の職務等を「苦役」とする違憲論や、国民の中に存在する強い拒否感を生んできた責任の一端は、最高裁にもあったと言わざるを得ない。
 その強い拒否感も、幸い、裁判員経験者の認識が明らかになって、いくらか和らぎつつあるようにも窺える。最高裁が実施しているアンケート調査によれば、裁判員になったことを「非常によい経験と感じた」経験者が、55・5%、「よい経験と感じた」経験者まで含めれば、95・2%に達しているからである。
 しかし、他方、2年目になって国民を対象にしたアンケートでは、「義務であっても参加したくない」との回答が、裁判員裁判がはじまって一旦は減少したものの、5.1%増加し、41・4%に達している。その確たる理由は定かではないが、「責任が重い」との回答が、2.6%増加していることからすると、死刑判決への関与可能性が、負担感を増幅させている可能性を否定できない。そのことが、「苦役」を強いるとする違憲論にもつながっている。しかし、140カ国近くが死刑を廃止しているという世界の趨勢に目を向ければ、死刑の存在を理由に裁判員制度を否定するのではなく、死刑廃止をこそを目指すべきであろう。
それにしても、判決が、なお、裁判官が「刑事裁判の基本的な担い手」としていることには注意を要する。しかし、判決が陪審を容認し、裁判員の職務の内容が「必ずしもあらかじめ法律的な知識, 経験を有することが不可欠な事項であるとはいえない」との認識を示していることからすれば、その意味は、裁判官なしに、その権限のありようというよりは、国民だけでは裁判が成り立たないことを確認したに過ぎないと解しておけば足りるであろう。
 いずれにせよ、「長期的な視点に立った努力の積み重ねによって, 我が国の実情に最も適した国民の司法参加の制度を実現していくことができる」との判決の認識は、了としたい。特に、現場の裁判官が、認識を変え、国民参加の意義を如何なく発揮するための努力を強く望みたい。

 
【大出良知さんのプロフィール】
九州大学法科大学院長などを経て、現在東京経済大学現代法学部長。専攻は刑事訴訟法、司法制度論。
『裁判を変えよう−市民がつくる司法改革』『長沼事件 平賀書簡−35年目の証言、自衛隊違憲判決と司法の危機』など著書多数。