【村井敏邦の刑事事件・裁判考(6)】
東電OL殺人事件
 
2011年10月10日
村井敏邦さん(大阪学院大学教授)

1 事件の内容
  1997(平成9)年3月19日、東京都渋谷区円山町のアパート1階の空き室で、当時、東京電力の従業員であった女性(当時39歳)の殺害死体が発見されました。被害者の女性が東京電力の従業員であったことから、この事件は「東電OL殺人事件」と呼ばれることになります。
  鑑識の結果、被害者の死亡推定時刻は、3月8日深夜ころで、死因は絞殺ということが判明しました。残されたノートなどから、被害女性は、昼間は東京電力の従業員として仕事をし、夜は売春をしていたことがわかり、数人の売春の相手の名前もノートに記載されていました。その売春の客の一人で、被害現場の隣のピルの4階に住んでいたネパール人男性が、犯人として逮捕されました。
  逮捕された男性は、終始一貫事実を否認していましたが、検察官は、男性を強盗殺人罪で起訴しました。直接証拠は一切ありません。

2 検察官の主張する情況証拠
  検察官は、次のような事実を男性を犯人とする情況証拠として主張しました。
@現場に遺留されたコンドーム内の精液と陰毛のDNA型・血液型が被告人のものと一致し、精液の遺留時期が犯行時刻と符合すること
A被害者の携帯していたショルダーバックの取っ手から検出された血液型物質が被告人のものと一致すること
B被告人は、被害者のアパートの鍵を犯行前後を通じて預かっており、鍵の返還時期について同居人と口裏合わせをしていたこと
C犯行後の家賃相当額の取得
D犯行時刻ころ被告人の現場存在の可能性
E被害者との面識について否定

3 裁判の経緯
  2000(平成12)年4月14日、第一審東京地裁は男性に無罪の判決を言い渡しました。被害現場に遺留されていたコンドーム内の精液のDNA型と血液型の男性のものと一致するなど、男性を殺害犯人とする情況証拠はあるが、現場には、第三者の陰毛が落ちているなど、第三者が被害者と性交したうえ、殺害したという合理的疑いがぬぐいきれないというのが、東京地裁が無罪判断をした理由です。
  これに対して、控訴審の東京高裁は、同年12月22日、検察官の主張する情況証拠によって男性の有罪を証明するに十分であるとして、検察官の控訴を認め、男性に有罪、無期懲役を言い渡しました。
  男性は上告しましたが、最高裁判所は、2003年(平成15年)10月20日、上告を棄却し、無期懲役の有罪判決が確定しました。

4 再審請求
  確定から1年半後の2005(平成17)年3月24日、男性は再審を申し立てました。東京高裁の再審請求審で、弁護側は、本年(2011年)7月21日、現場から採取された証拠のうちで、DNA鑑定がされていない物証のDNA鑑定を申請し、裁判所がこれを受けて、東京高検にDNA鑑定を要請しました。東京高検において、被害者の体内から採取された精液を鑑定した結果、その精液のDNA型は、男性のものと異なり、現場に残された第三者の陰毛と一致しました。
  弁護側は、これによって、男性を無罪とする明らかな証拠が発見されたとして、直ちに再審開始をすべきであると主張していますが、検察側は、男性以外の第三者との性交があったことはすでに明らかなので、第三者との性交があったとの証拠は、再審を開始するための明白な証拠とはならないと主張しています。
  東京高検は、いままで弁護側に開示してこなかった物証についても、DNA鑑定をすることを弁護側に伝えている。その中には、被害者の胸に付着して唾液も含まれていて、この唾液の血液型は、男性の血液型(B型)とは異なるO型であることがわかっています。

5 この事件の問題点
(1)以上の再審請求審での経緯からすると、再審が開始されるのが妥当のように思えます。検察官は、第三者との性交があったことだけでは有罪を覆すに足りないと主張していますが、死後も被害者の体内に残されていた精液が、有罪とされた男性のものと異なるということになると、その精液の持ち主こそ犯人ではないかと、疑うのが合理的です。検察官が最有力証拠とする現場に残されていたコンドーム内の精液以上に、体内に残されていた精液のほうが、犯人像と結びつきやすいでしょう。
  コンドーム内に残されていた精液については、精液の陳腐化の程度などから、その遺留の時期については、当初から疑問が出されていました。被害者からとられたとされる物が、男性が行ったことのない場所から発見されるなど、男性と犯行とを結びつける証拠についての疑問は、そのほかにも出されていました。再審を開始して、こうした疑問を含めて解決する必要があります。
(2)実は、この事件の裁判の経緯には、もう一つ法律上の問題がありました。
  それは、第1審の無罪判決後、検察側は控訴したわけですが、その控訴審が開始される以前に、男性は勾留されたことである。本来、無罪判決があると、それまで勾留されていた場合でも、その勾留は無効になり、身体を解放しなければなりません。検察官が控訴したことによって、無罪の判断が有罪にかわるということは、もちろんありませんし、控訴審における証拠調べを経ない段階で、有罪の可能性が出てくるということもありません。
  裁判所は、検察官の主張を認めて、控訴審において勾留を決定しましたが、無罪判決の意味を失わせる決定と言わざるを得ません。
  このような問題が起きてくるそもそもの原因は、無罪判決に対して検察官の控訴を認めていることにあります。検察官控訴の問題は、裁判員裁判においてより顕著に出てきています。この欄でも、改めてこの問題を取り上げること機会をもちたいと思っております。

 
【村井敏邦さんプロフィール】
一橋大学法学部長、龍谷大学法科大学院教授、大阪学院大学法科大学院教授を経て、現在一橋大学名誉教授。法学館憲法研究所客員研究員。