子どもの『犯罪』と裁判員裁判  
2011年8月8日
加藤暢夫さん(「ponpe mintar」相談員(社会福祉士)・名古屋芸術大学准教授)

 私は,保護観察官の仕事を「ソーシャル ワーク」と自負し,約40年更生保護に従事し,その後,社会福祉士として子どもの困難(虐待,いじめ,非行,生きづらさ等)に係わってきました。ところが,2000年来の少年法,児童福祉法,他子どもの権利に係わる諸法制が後退していることに,子どもの側に身と目線を置き生きようとするとき,専門職としての生きづらさを痛切に感じています。その代表例は,以下に述べることです。
子どもの『犯罪』は,日本国憲法では「犯罪」概念にまとめられていますが,少年法と児童福祉法で,「非行」「触法(行為)」と命名して半世紀を超えて,国民に定着し,違憲裁判もなく今日に至っています。この命名は,子どもの「犯罪」を大人の「犯罪」とは区別した見方と国家としての処断の方法を異にされ(刑事裁判所,家庭裁判所,児童相談所),捜査機関の捜査方法や事件敢行をしたとされる子どもの扱いも成人の刑事事件と大きく違って検察官非関与,他を捜査機関に求め,事件の取り扱いは「非公開」であって,「記事等の掲載の禁止」規定を置き,子どもを一市民それも育成されるべき一市民として子どもの存在を認めた意義高い少年司法・保護・育成法を1945年新生日本は憲法原理に基づいて持つに至りました。この精神は,半世紀以上も営々と引き継がれてきました。

  ところがいま,2000年のいわゆる「原則逆送」という,法文にもない「解釈と用語」が少年司法と児童福祉法を支配しています。特に少年法20条の2項が「特段の事由・理由」論とも解釈されて,子どもの持つ特別な発達の過程や論理,育ちの状況や有り様から保護処分がされると同条文には書いてあるのに,成人の刑軽減の要素で子どもの『犯罪』を判断して「検察官に送致」(逆送)すると解釈されています。本条を文言通りに読めば,2000年少年法は以前以上に厳しく逆送をしないようにしたと言えるのです。
  ただ,他の諸条文の改訂は,検察官の関与や裁判官の合議制等少年司法を大きく塗り替える動きがあるもとで,法文にないことばが法曹分野では行き交い,子どもの権利を大きく踏みにじっています。その極限のものが「裁判員裁判」による子どもの公開裁判です。
  不良環境,不遇な育ち,不適切な養育,暴力や暴言,栄養の不足,不適切な教育環境等が複雑に重なって生じている子どもの『犯罪』だからこそ,家庭裁判所の調査を重視して「刑事処分以外の措置を相当と認めるとき」は逆送事案から除外する文言にしています。
  ところが,「原則逆送論」は一つの解釈としてあるとしても,石巻殺傷事件に見られるごとく全く逆な理解もあることを裁判員に示すこともなく,裁判員裁判の評議と評決を行い,裁判員となった一人の市民が人を殺すこととなる法制度を日本という文化国家が持ってしまったのです。育ち・人間関係等に多くの困難を抱えた子どもが公開裁判の下で,自分の生い立ちを他人に理解してもらえるように,どうして話すことができるでしょう。被害者の厳しい目と公衆の多くの目は,彼らのことば足らずの一言にさえつながってしまう現実=それがまさに「刑事処分以外の措置を相当と認める」ことを見つけていく糸口になるのに,「反省の態度がない」とか「被害者を顧みない」との攻撃や批判のきっかけにさえなってしまっています。裁判は公開と定める憲法の原則があるのに,公判前整理という非公開の手続きがあって,短期間の公判期間と子どもに関する専門的認識の少ない裁判員に,この現実をわかってもらおうというのは極めて困難なことです。
  裁判員裁判は公開の裁判で一般市民も有無罪と量刑の決定に関与する制度ですから,少年司法の制度の原則をふまえるならば,少年事件を裁判員裁判で取り扱うことは極めて慎重でなければなりません。いまこそ,その認識を市民の中に広げなければなりません。
  こうした少年司法関係の子どもの権利状態については,日本国内だけでなく,国連の子どもの権利委員会からは厳しい指摘や批判もされているにもかかわらずです。

  私は,ソーシャルワーカーとして見たとき,社会的排除が横行し,人を大切にする社会を築こうとすれば「社会的包摂」という視点と立場に立たざるを得ず,犯罪そのものを社会的には「社会的障がい」と位置づけ直し,日本国憲法の犯罪論,民主国家らしく作り上げてきた少年司法・少年保護法制の成果を国民一人ひとりが再認識し,『犯罪』のもう一方におられる被害者が孤立せず,生じた困難を公的に支えられる支援制度や社会福祉・社会保障制度の充実を展望していかねば,人間社会の平和はあり得ないと考えるのです。
  その際の中心思想は,自由・平等・博愛という自由社会と民主社会の原則と共に,日本国憲法の人の尊厳を重んじ,平和を大切にするところにあると,特にソーシャルワーカーの倫理としても,求められていると思うのです。ですから,えん罪や死刑などという人の自由を人の謬ちで奪い,人の命を人があやめるのではなく,「加害−被害」の接点と関係性を市民社会が,国家や行政だけでなく企業をはじめとした「私(=NPO等も含む)」そして「私」が生きる地域からもしっかり支えることではないかと生活しているものです。
  こんな想いから,「裁判員裁判と子どもと大人 「加害−被害」の視座 ”尊厳”と”平和”」(三学出版 大津市勧学2-13-3 /fax077・525・8476)を出版しました。ご一読とご批判を期待しております。

 
【加藤暢夫さんのプロフィール】
 1944年生。戦時政府の宗教弾圧のもとで、キリスト教の宣教活動をすることができない父母の子として名古屋市にて出生10日程で、母の里の長野県に疎開。
  敗戦後、父の姉夫婦を頼って愛知県瀬戸にて子ども時代を過ごし,ミッションスクールの中学・高等から,非行問題を学ぶ目的で日本福祉大学へ進学卒業。
  専門職試験で、1967年に大阪保護観察所に採用後、各地の保護観察所で保護観察官をし,北海道地方更生保護委員会委員で早期退職。関西非行問題研究会を現場従事者・研究者と協力して運営にあたる。
  退職後,社会福祉士として独立事務所(ponpe mintar(子ども家庭相談所))を開業し,学校に行きづらい子どもと家族,DV被害の母子,家族問題,被害者の相談,非行等の相談に応じて現在に至っている。非行や不通学の親の会の活動に参加。
  なお,2007年4月から名古屋芸術大学人間発達学部子ども学科教員も兼ねる。

 若干の著作を示せば,「非行克服の現場と理論」(三和書房 編著 1980年),「児相における事実認定排除論への疑問 そだちと援助 第6号」(「そだちと援助」発行グループ 2004年1月),分担執筆として「司法福祉の焦点」(ミネルヴァ書房 1994年11月),「現代社会福祉レキシコン」(雄山閣 1993年6月),他。