【村井敏邦の刑事事件・裁判考(4)】
布川事件再審無罪について(1)
 
2011年8月1日
村井敏邦さん(大阪学院大学教授)

布川事件とは
  1967(昭和42)年8月30日、茨城県北相馬郡利根町布川で、62歳のひとり暮らしのTさんが、両足をタオルとワイシャツで縛られ、口の中にパンツを押し込まれ、首にもパンツを巻きつけられた状態で死亡しているのが発見されました。これが布川事件です。
  捜査本部では、この事件は地元の素行不良者の仕業であると考え、片端からリストに載った人物を軽微な別件事件で逮捕し、取り調べました。そして、捜査本部によって最後に残った人物として、桜井さんと杉山さんの二人がいました。
  桜井さんは、ズボン1本の窃盗で逮捕され、また、杉山さんは暴力行為で逮捕され、取り調べでは、二人ともにTさんの強盗殺害事件について聞かれ、二人とも、自白します。
  その年の12月28日、二人は強盗殺人罪で水戸地方裁判所土浦支部に起訴されます。公判では、二人は無罪を主張しますが、1970(昭和45)年10月6日、裁判所は、二人に有罪を宣告し、無期懲役を言い渡しました。二人は、これを不服として、直ちに東京高等裁判所へ控訴しましたが、1973(昭和48)年12月20日、控訴審の東京高等裁判所刑事12部は、控訴棄却の判決を下しました。
  弁護団は、直ちに上告しましたが、1978(昭和53)年7月3日、最高裁判所第2小法廷は、裁判官全員一致で上告棄却の決定を下し、桜井さんと杉山さんの有罪が確定しました。その後、1996(平成8)年11月に仮釈放になるまで、18年間刑務所で過ごしました。

再審請求から無罪確定まで
  桜井さんら二人は、公判中も一貫して無罪を主張し、収監されている拘置所から研究者や実務家に手紙を書き、無罪であることを訴えました。筆者も二人の手紙を拘置所から受け取った一人です。二人の訴えに呼応して、当時都立大学教授であった清水誠さんが呼び掛けて、「布川事件研究会」が結成されました。
  清水誠さんは、終始一貫桜井さんらの無罪を信じ、後には布川事件を支援する会の代表もされましたが、桜井さんたちが再審無罪になる直前に亡くなられました。残念です。
  再審請求は2度行われています。第一次再審請求は、1983(昭和58)年12月23日に起こされましたが、水戸地方裁判所土浦支部は。1987(昭和62)年3月31日、請求を棄却しました。即時抗告、特別抗告も棄却されました。その後、有罪確定から18年を経て、桜井さんと杉山さんは仮釈放されました。
  第2次再審請求は、2001(平成13)年12月6日に起こされ、2005(平成17)年9月21日、土浦支部は、桜井さんたちの請求を入れて、再審開始決定を出しました。検察官による即時抗告、特別抗告も棄却され、2010(平成22)年7月9日、第1回再審公判が開かれ、第6回公判で結審し、2011(平成13)年3月16日が判決日として指定されました。
  2011(平成13)年3月11日に東北大震災が発生したため、判決は延期され、5月24日、水戸地裁土浦支部の神田助裁判長は、桜井さんと杉山さんに無罪を言い渡しました。6月7日、水戸地方検察庁は、上訴を断念すると表明し、ここに桜井さんと杉山さんの無罪が確定しました。二人が強盗殺人罪で起訴されてから、実に44年の歳月を経ていました。

布川事件の教訓
  布川事件は、これまで、冤罪の原因として指摘されてきたすべての要因が備わっている事件ということができるでしょう。その意味では、布川事件は冤罪の典型とでもいうべき事件です。
  冤罪を生み出す要因としては、第一に、見込み捜査、第二に、別件逮捕、第三に、誤導・誘導による自白の強要、第四に、目撃供述の偏重などがあげられます。
  布川事件の捜査は、まず、素行不良者の仕業という見込みで開始されます。地域の素行不良者としてレッテルが張られた若者が次々にターゲットになり、取り調べられます。そうした中から、桜井さんと杉山さんの二人が犯人として挙がってくるのです。そして、軽微な別件での逮捕を利用して、本命である事件の取調べをし、自白の強要することが行われました。

別件逮捕の問題性
  別件逮捕は違法です。その理由は、本命とされている事件について逮捕の要件がないのに、要件が備わっている軽微な事件で身体を拘束して、もっぱら本命の事件について取り調べるのですから、憲法や刑事訴訟法が逮捕の要件を定め、身体拘束を厳格にしようとしている趣旨を没却することになるからです。
  ところが、実際の捜査実務では、この別件逮捕が日常的に行われており、最近は、マスコミでも批判するでもなく、別件逮捕が行われたことを報道しています。裁判所も、別件逮捕に対する違憲・違法判断をすることがまれな状況があります。
  布川事件でも、別件逮捕の違憲性・違法性が主張されましたが、裁判所は簡単に斥けています。別件の窃盗事件については取り調べる必要と要件が備わっており、強盗殺人事件についてもっぱら取り調べる目的で逮捕したものではないというのです。逮捕要件が備わっている軽微な事件を利用するのが別件逮捕ですから、窃盗事件に逮捕する要件が備わっていたのは当然です。また、本件についてもっぱら取り調べる目的があったということを捜査側がいうわけがないのですから、このような目的が認められなければ、違法ではないというのでは、別件逮捕が違法であると認められるケースがほとんどないのも、これまた当然です。
  再審開始決定をした千葉地裁も、違法な別件逮捕だとまでは断定していません。しかし、杉山さんたちが自白に至った経緯を詳細に検討して、「これをもって直ちに別件逮捕ということはできないとしても」、取調べ警察官が窃盗で逮捕後の取調べにおいて、「強盗殺人事件の犯人である可能性を強く意識しながら取調べに及んだものと推認することができる」とし、その後のこの警察官の供述の変遷は、あえて別件逮捕の意図を否定しようとしたものだと指摘しています。
  このように、取調べ経過を丁寧に検討するならば、別件逮捕の意図も明らかにし得ます。しかし、上記の指摘にある通り、そのような意図を隠そうとするのが捜査官であることを考えるならば、「意図」を基準にして別件逮捕の違法性を認めるということ自体を考え直す必要があるでしょう。

 
【村井敏邦さんプロフィール】
一橋大学法学部長、龍谷大学法科大学院教授、大阪学院大学法科大学院教授を経て、現在一橋大学名誉教授。法学館憲法研究所客員研究員。