『裁判を住民とともに』(2)  
2011年6月20日
板井優さん(弁護士)
(前号からの続き)

―――板井さんはご著書の書名にあるように「裁判を住民とともに」たたかってきました。住民の要求が裁判所を動かす様々な場に立ち会われてきたと思いますが、印象に残っている場面などをお聞かせください。

(板井さん)
  水俣病問題の裁判でのことですが、弁護団はなんとか裁判官に対して水俣病患者の症状を実際に見てもらう、現地で検証してもらうよう求めました。そして相良甲子彦裁判長が胎児性患者である宮内一二枝さんの自宅で検証することになりました。その日は雨が降っていました。私はその翌日、吉田京子裁判官から、前日の夕食の前に相良裁判長が「今日の雨のように私の心にも雨が降っている」と言ったということを聞きました。私は以前から、裁判では「事実を、もっと事実を」と、事実を大事にして裁判をたたかうべきだと唱えていたのですが、このときには、事実、つまり患者の実際の症状というものが裁判官の心を変える力があるのだということを再確認できました。
  私は原爆症の裁判でも実際に裁判官に長崎の被爆の地に行ってもらい、被爆者を救済する判決を書いてもらったことがあります。

―――この6月で司法制度改革審議会意見書が出されて、ちょうど10年になります。その意見書にもとづく改革の一つの課題として、法科大学院制度ができました。先生も法科大学院で教鞭をとられていますが、どのように評価しておられますか。
(板井さん)
  私は熊本大学法科大学院で「環境と法」について講義しています。法科大学院制度については多角的に評価し改革する必要がありますが、私は、これから法律家になろうという人たちに弁護士が直接講義できる機会が増えたことは重要なことだと考えています。環境問題・公害問題などは法律知識だけでは解決できず、社会的に解決していく必要性なども伝えています。
  私は熊本学園大学でも非常勤講師をしていて、先日の授業でトンネルじん肺裁判をしている患者さんの映像を学生たちに観てもらいました。日頃は私語の多いクラスだったのですが、このときはみんな黙って映像に見入っていました。授業後にある学生が「呼吸できないっていうのはつらいことなんですね」と言ってきました。私は患者の被害の事実をそのまま観てもらうことで、学生も真剣に考えるのだなと改めて感じました。法科大学院での教育にも活かしていこうと思っています。

―――今般の司法制度改革で、各地に法テラスやひまわり基金の法律事務所が広がっています。板井さんは一時期水俣に事務所を構え、地域の法的ニーズに対応されました。弁護士過疎地域をなくしていくことの意義についてのお考えをお聞かせください。
(板井さん)
  私は8年6ヶ月間、水俣に事務所を構えました。当時水俣およびその周辺には弁護士がほとんどいませんでしたので、熊本県南部から鹿児島県北部にかけて走り回ることになりました。その時のことですが、水俣で暴力団同士の抗争が勃発し、暴力団員があるアパートに立てこもる事件が発生しました。アパートに住んでいた住人たちは怖がって逃げ出さざるを得ず、大変な事態になりました。そこで私が裁判所に対して、暴力団をアパートから退去させる仮処分を申し立てました。裁判所の決定が出る前の日、マスコミの記者たちが私のところに来て、「暴力団から撃たれるんじゃないですか」と心配して聞きました。私は「撃たれたら撃たれたでしょうがない。その場合、警察の幹部の首も飛ぶだろう」と言いました。そうしたら記者たちが早速そのことを警察に伝えに行きました。その結果、その日のうちに警察が動き、双方の暴力団を説得し、アパートからも追い出しました。私は、弁護士がいるだけで市民の役に立つこともあるんだと思いました。
  とにかく、弁護士が一人もいないような地域の住民はいろいろなことで泣かされています。弁護士がいろいろな地に広がる必要があります。私はいま熊本市内の法律事務所にいますが、定期的に行われている水俣での法律相談には毎回足を運んでいます。

―――板井さんのこれまでの様々なお話し中には、司法改革を考えるいろいろな問題提起が含まれていると思います。ありがとうございました。

 
【板井優(いたい まさる)さんのプロフィール】

弁護士。水俣病訴訟弁護団事務局長、ハンセン病西日本弁護団事務局長、川辺川利水訴訟弁護団団長、元全国公害裁判弁護団連絡会議事務局長および幹事長、などを歴任。
2011年3月、『裁判を住民とともに ヤナワラバー(悪ガキ)弁護士奮戦記』(熊本日日新聞社)を上梓。