布川事件の43年  
2010年7月26日
桜井昌司さん(布川事件被告人)
*布川事件(1967年に茨城県北相馬郡利根町布川で発生した強盗殺人事件)で桜井昌司さんと杉山卓夫さんが被疑者として逮捕され、裁判で無期懲役が確定しました。その後桜井さん・杉山さんの再審請求が認められ、現在再審裁判が行われています。
桜井昌司さんからその思いを語っていただきました。こんにちの司法の一端を示すものとして掲載します。
桜井昌司さん・杉山卓男さんを守る会のホームページはこちらです。(編集部)

  1967年8月下旬に茨城県利根町布川で一人暮らしの男性が殺害された布川事件は、私と杉山卓男が逮捕され「自白」したとして起訴され、裁判で有罪になって、一件落着になりました。
それからでも30数年が過ぎた昨年、私たちは「自白には問題がある」となって再審開始が確定しました。逮捕されて42年が過ぎていました。
私は、自分でも「嘘の自白をしたから悪い。殺したと言ってしまったことが原因で有罪になった」と思っていましたが、これが違うことが判りました。
私たちを犯人にするために警察と検察が行っていた不法行為は、実に沢山ありました。
先ず、現場から採取していた毛髪と鑑定書の存在を隠していました。現場にあった毛髪が私たちのとは合致しなかったことで、指紋以外にも物的証拠があるとなれば有罪にできないと案じた検察が、その鑑定書を35年間隠していたのです。私の取り調べ状況を示す捜査報告書に改ざんの痕跡もありました。私が初めて「自白をした日」(1967年10月15日)の捜査報告書は、一枚目と二枚目の印鑑が合いません、一枚目が一重、二枚目が二重の印鑑痕です。私・桜井の取り調べ時間として提出されていた「取り調べ時間表」が、その後に提出された捜査報告書にある「取り調べ時間」と比較すると、全く食い違うところがあって、その改ざんも証明されました。当初「録音していない」と取調官が否定した録音テープが提出され、そのテープには13箇所の改ざん痕があることも判りました。事件現場前にいた人は杉山ではないと証言する証人の存在が、35年も隠されてきました。「手で首を絞めた」とする自白の嘘を示す「絞殺の跡がある」とする死体検案書も隠されていました。
このような結果、私たちは犯人にされたのです。嘘の自白で有罪にされたのではありませんでした。警察のでっち上げ、検察の証拠隠しによって有罪にされたのです。
今、再審裁判が始まって思いますのは、なぜ無実の証拠を隠して裁判が行われるのか、証拠を隠して裁判行うことが、なぜ許されるのかという、強い疑問です。
検察は「現場から採取された毛髪のDNA型鑑定をしたい」と言って、今でも「二人は犯人」と主張します。都合悪いと隠し続けた毛髪を、今度は「DNA鑑定をする」と言うのですから、そのご都合主義には笑えますが、検察は、何が何でも私たちを「犯人」にしたいのだと思います。
なぜか?
布川事件は二人が犯人にされ、何も証拠がありません。ですから、足利事件のように「DNA鑑定が間違えたから捜査も間違えた。」などと表面上の反省をしただけではすみません。「桜井と杉山は犯人ではありませんでした」と詫びれば、真剣に捜査の問題性を反省しなければならないのです。多分、そのような反省は検察にはできないのでしょう。ですから、証拠の保管状況も問題があり、私のDNAが取り調べのときに混入しているかもしれないのに、「鑑定をしたい」と拘っているのです。
布川事件は、警察の捜査の問題と検察の証拠隠しの問題があり、これからの再審裁判の行く方に関係なく、更に追及されるべき事件であると、私は思っています。先日の初公判でも発言しましたが、なぜ国民の税金で集めた証拠を検察が独占して、無実の証拠を隠したり、好き勝手に証拠を操り裁判が行われているのか、この問題を、これからも社会の訴え続けたいと思いますし、すべての証拠は弁護側のものを含めて裁判に明らかにする法律を作らせるために、今後も声を上げていきたいと思っています。