殺人狂時代の終焉〜裁判員と死刑〜(その1)  
2010年7月5日
石塚伸一さん(龍谷大学教授)
「一人の殺害は犯罪者を生み、百万の殺害は英雄を生む。数が殺人を神聖化する。
"One murder makes a villain; millions a hero. Numbers sanctify"」。
ベイルビー・ポーテューズ*

はじめに
〜厳罰主義は終わったか?〜

 1990年代後半、日本の刑事司法に厳罰主義が台頭した。2000年に入り、その動きは嵐になった。犯罪認知件数は急増し、被疑者・被告人は増加し、刑事施設は過剰収容になった。刑事裁判をめぐる環境も一変した。法廷の中に犯罪被害者がいる。被害感情を理由に検察官は厳しい処罰を要求し、裁判官もこれに応えた。その結果、死刑や無期懲役の判決が急増した。2009年5月、いよいよ裁判員裁判がはじまり、法廷は従来にも増して情緒的になり、死刑が乱発されるかに思われた。しかし、裁判員裁判導入前後に何かが変わった。

1 大量死刑時代の到来か?

 戦後の確定死刑判決数を10年ごとの平均を見てみると、昭和20年代には30件以上であったが、昭和30年代に20件、昭和40年代に10件を割り、昭和50年代には3件まで減った。1984〜2004年の20年間は若干増えたが、それでも5件前後。日本は、死刑の廃止国や停止国ではないが、縮減を目指す国であった。
ところが、2000年、突然、地裁の死刑言渡しが14件になり、爾後、2007年まで二桁が続いた。この8年間の平均は13.6件で、90年代の2.7倍になっている。

【図1】戦後の死刑確定判決の動き(各10年平均)

 執行にも変化があった。それまで50人台であった年末の死刑確定者数が2004年から増加に転じ、2007年を超えた。1993年の執行再開以来14年間の平均が3.6人であった執行が、2007年には9人、08年は15人、09年は7月までで7人であった。

【図2】死刑判決および執行の流れ(1991〜2009年)

2 検察官の死刑求刑
〜「永山基準」への挑戦〜

 1980年代、免田、財田川、松山、島田と死刑再審無罪が4件続いた。また、「永山事件」では死亡被害者が4人であったにもかかわらず、行為時に少年であったことを理由に、高裁で無期懲役の判決が言渡された。最高裁は、死刑と無期刑を区別する要素と基準を示した。これがいわゆる「永山基準」である。80年代末から90年代はじめに3年4か月死刑の執行がなく、死刑廃止が言の葉に上るようになった。
当時の「量刑相場」では、強盗殺人事件で死亡者が単数か、複数かが、無期と死刑と無期の分水嶺といわれた。被害者1人事件では、身代金目的誘拐や保険金詐取のように殺害が目的と計画的に結びついている場合や無期刑仮釈放中の殺人等について、例外的に死刑が言渡されることがあった。
検察官も、死刑求刑には謙抑的であった。死刑求刑事件に無期刑が言渡されても上訴をしなかった。たしかに、「永山事件」では高裁の無期判決対して量刑不当で上告しているが、これは、例外的対応である。行為時少年で、仲間とともに2人を殺害したいわゆる「名古屋アベック殺人事件」は、地裁で死刑、高裁では無期懲役であったが、検察官は上告していない。
しかし、検察庁は、このような状況に危機感を感じた。1990年代前半から、「勇気をもって死刑を求刑すべきである」との公言する論者が現れた。90年後半、一連の「オウム真理教事件」において組織的な無差別大量殺人であることを理由に死刑を求刑した。そして、90年代末、高裁の無期判決を不服として、死刑を求めて上告する、いわゆる「検察官上告5事件」によって、最高裁に死刑の基準の見直しを迫った。その際、強調されたのは、永山基準は、行為者の主観面、すなわち、年齢や生育環境を重視すぎているということであった。
2000年に入ると、通り魔殺人、逆恨み殺人、幼児殺のような、被害者に落ち度のない殺人事件において、「被害者の無念を晴らし、被害者遺族の苦しみを癒すためには、加害者を死刑にするしかない」という論理が台頭しはじめた。
死刑基準が動揺し始めた。検察庁は組織的に対応した。死刑判決事案の一覧表を作り、被害者1人でも死刑が出ていると主張した。弁護人は、死刑求刑・無期判決の事案を根拠に反論した。被害者遺族は、競うように死刑を求める陳述をした。「無期判決だと敗訴、死刑なら勝訴」などという発言が報じられた。
重罰化の集大成が、2005年の施行された刑法の一部改正であった。爾来、いわゆる「量刑相場」が一律に上がり、検察官は、重い罪名で起訴し、重い求刑をするようになった。有期懲役の上限が30年になったので、無期受刑者は30年以上服役すべきとの論理が説得力をもつようになった。
2006年、いわゆる「光市事件」で最高裁は、行為時18歳の元少年に対して、1・2審の無期懲役の判決を破棄し、高裁に差戻すという異例の判断を示した。同事件については、差戻し控訴審で死刑が言渡され、被告人側が上告して、現在、最高裁に係属中である。
下級審では、死亡被害者1人の事件でも、幼女に対するわいせつ目的や市長選挙候補者に対する殺人で死刑判決が言渡されている。2009年3月には、いわゆる「闇サイト事件」において、金銭強取のために女性を殺害した3人の共犯事件で2人に死刑、1人に無期懲役が言渡された。
「永山事件」以来の量刑相場を大きく覆す判決であった。
(つづく)

 
【石塚伸一(いしづか しんいち)さんのプロフィール】
龍谷大学法科大学院教授(刑事法、刑事政策を専攻)。同大学矯正・保護総合センター副センター長。弁護士。
著書に『刑事政策のパラダイム転換』(現代人文社)、『社会的法治国家と刑事立法政策―ドイツ統一と刑事政策学のゆくえ―』(信山社)、『国際的視野から見た終身刑』(監修・成文堂)、『日本版ドラッグ・コート』(編著・日本評論社)、『弁護士業務と刑事責任』(編著・日本評論社)などがある。