法曹「増員」論が見落としていること  
2010年3月29日
原 啓一郎さん(弁護士)

 弁護士会が最近出してきている「安易な増員に反対」の議論について、いろいろな評価がされていると思いますが、ものすごく重要な、「コスト」の問題が全く見落とされていがちであるように思われます。
「増員」への積極的賛成意見の根拠として、「法の支配を津々浦々へ」という表現にも象徴される、弁護士「必要論」あるいは「不足論」がベースにあるように思われます。ここで見落とされるべきでないのは、「内容証明を出すのに数万円」とか、「事件受任となれば通常数十万円」とか、「日当」は3万円とか5万円とか、このような水準は弁護士業界では(一部を除き)標準的ですが、こういった支払いを自己負担でしていただく前提での「津々浦々に」などどだい無理であるという事実です。弁護士が(それも一定以上の力を持った)関与したほうが良い分野や対象は世の中にたくさん存在しますが、上記(あるいはそれ以上の)水準を前提に制度設計できる分野や対象はそのうちの一部です。弁護士の関与分野を広げれば「増員」に見合う需要を生み出せるという考えがあると思いますが、これから「広げ」られる(あるいは「広げ」ることが社会的には望ましい)分野の多くはいわば「不採算分野」であり、そのような需要に応えていくことは望ましいことですが、コストの問題も考えて制度設計しなければ、持続可能な制度にはなりませんし、後述するように「弊害」も出ると考えます。
少し敷衍しますと、弁護士が業務を成り立たせる/継続するには、事務所の賃料、人件費、その他運転経費がかかるわけですから、医師が病院や診療所の運営にどうしてもある程度のコストがかかるのと同様に、ある程度の売上の確保は(仕組みを大きく変えない限り)どうしても必要です。なお、この「ある程度」の水準について、世の中に「弁護士は儲かっている」という誤解があるように思われますが、採算度外視でするしかない仕事を一定割合以上抱えていない弁護士を除くと、運転経費を引いた手取りは、同世代のサラリーマンの友人よりは低いのではないかと思われる事態は珍しくないはずです。医師の給与明細(1500万円とか)を見てびっくりしたことが個人的にありますが、そういう水準のものを確保するためにということでは全くなく、人並みに暮らせる程度の収入の確保は制度設計として/社会のためにも必要ではないか、というのがここでの問題意識です。そして、述べたような「不採算分野」ではこの確保は(程度にもよりますがおそらく)無理であるという現実があります。
そこで「解決策」として、ひとつには事務所運営をしないで弁護士をする形態(例えば「組織内」弁護士)が考えられます。確かに例えば役場や支所の職員となって常駐し、無料で法律相談に乗る体制があれば、「津々浦々」に大いに資するようにも思います。しかし弁護士としての「実務経験」なくそのような立場にあって適切なアドバイスができるのかはかなり疑問ですし、また待遇も身分も一般職員で「技能手当」でも付くのかもしれませんがそのために、何百万円かかけて法科大学院に通える、通おう、という人はそう多くはないと考えられ、少なくとも制度設計としては失敗だと思います。では「中途採用」はというと、あまり機能していなさそうですし、「事務所運営をしない形態があれば」という、解決策の肝から外れてしまいます。
もうひとつ、「解決策」として、リーガルエイド(法律扶助)を充実させる、ということが考えられます。「不採算分野」でも事務所運営と人並みの生活ができる程度の売上を、いわば公費で、出すということになります。医師や介護の費用の場合、これは保険制度が担っており、安くはない保険料を皆が毎月支払っているのは、「決まっているから」だけではなくて、自分に何かあった時に助かるから、困った時はお互いさまだから、困るかどうかは「自業自得」ではないから、といった(潜在的)コンセンサスが、市民の中に存在するからではないでしょうか。あるいは、保育や教育にも多額の税金が投入されていますが、これらも「不採算」でも社会的に必要というコンセンサスがあるからだと思われます。「リーガルエイド」についても、ある程度の社会的コンセンサスがあり、それが法律扶助予算の増額として(今の何倍かに)反映される、ということがなければ、この「解決策」は無理(とれない)ということになると思います。
このような「解決策」なしに、過度に「増員」だけ進めてしまったら、「弊害」が懸念されると思います。それは、人だけ増えればどうしても、危機感から、「お金になる」もの/分野への集中がなされるのが人間の行動様式だと思いますし、「収入のために仕事を作る」(すなわち紛争を作り出す)人もどうしたって出てくると思います。これが社会的に望ましいとも「市民のためになる」とも思えません。「不採算分野」への進出(という、制度のひとつの目的)についてみても、これを担おうにも、それを「すればするほど苦しくなる」という現状で、かつ他からの収入でカバーできないような状態では、担い手を増やすことは困難ではないでしょうか。また、物の商売と違い、また利用者による「選別」が難しい関係性/性質もあるので、「悪い」弁護士が「淘汰される」というわけでもないでしょうし(さらには、「儲からない弁護士」が先に「淘汰」されるかもしれません。「儲からない」イコール「悪い」ではない分野がこの業界には多数存在します)、そうだとすると、利用者への被害が増えるのではないか、という点も実は「弊害」として挙げられるのではないかと思っています。医師や介護の仕事にしてもそうでしょうが、弁護士も、「まあまあの自己負担で、どの弁護士であってもそれほど違わない/悪くない事件処理が期待できる」、という制度設計のほうが、市民のためになるのではないでしょうか。そのためには過度な増員はマイナスではないでしょうか。
というわけで、法律扶助の水準が変更されたという話も聞かない現状で、「3000人は多すぎた」として増員に反対する考えは、現在の実社会にマッチした判断であると考えています。「では何人が良いのか」というところの議論も必要だと思われますが、厳密には誰もわからないことでしょうし、「現状追認」ということも、実はそれなりにバランスが取れていて、そこそこ良識的な線、判断なのではないかという気がしています。少なくとも、「増やせば市民のためになる」という短絡的な考えは、社会の現状の仕組みにはそぐわないのではないか、という視点は、必要であると考えます。

 
【原 啓一郎さんプロフィール】
弁護士。2001年登録。大阪弁護士会の人権擁護委員会委員、子どもの権利委員会委員、法律援助事業運営特別委員会委員などを歴任。