裁判員制度  
2010年3月22日
 今年の裁判員裁判では、検察の死刑求刑が予想される事件や、被告人が起訴事実を否認する事件などの審理が大幅に増えるようです。この時期にあたって、あらためて裁判員制度の意義と課題を学び考える必要があると考え、法学館憲法研究所WEBサイトに掲載された浦部法穂さん(法学館憲法研究所顧問・神戸大学名誉教授・弁護士)の論稿を掲載します。昨年の論稿ですが、憲法の理念をふまえてこんにちの裁判員裁判を検証する基本的視点が提供されています。(編集部)
浦部法穂さん(法学館憲法研究所顧問・神戸大学名誉教授)

 5月21日からいよいよ裁判員制度がスタートする。といっても、5月21日にすぐ裁判員裁判が始まるわけではない。5月21日以降に起訴される事件から裁判員裁判の対象になる、ということである。実際に裁判員裁判が始まるのは、たぶん夏ごろになるであろう。
裁判員制度とはどのような制度かということについては、すでに知っている人が多いと思う。だが、「裁判員になりたくない」と思っている人も多いであろう。「法律のことはなにも知らないのに、人を裁くなどということをしたくない」というのが、多くの人の思いなのかもしれない。とくに、裁判員裁判の対象は、重大な刑事事件であるから、場合によっては、死刑判決に関与することにもなりうる。そんな重い決断を素人がしなければならないということは、たしかに気の重い話である。その感覚は、きわめて健全なものだと思う。また、死刑制度を残したままで裁判員制度を導入したことには、大いに問題があるというべきである。しかし、裁判員制度には、積極的な意義があることも、たしかである。
裁判員制度の積極的な意義は、一言でいえば「裁判の民主化」である。つまり、裁判という国家権力の発動にふつうの人々を参加させることで、裁判についても「民意」の反映を図ろう、ということである。誰もが知っているように、憲法は、主権者つまり国家の主人公は国民だと定めている。だから、国家権力の発動はすべて主権者である国民の意思に基づいて行われなければならない。その意味で、裁判についても「民意」を反映させるという裁判員制度は、憲法の基本的な原理である「国民主権」を、より前進させる制度だといえる。
しかし、裁判というものは、必ずしも「民意」に従えばそれでいいというものではない。国民の中の多数が「犯人はこの人に間違いない」と思っていたとしても、それだけでその人を有罪にしていいということにはならないし、国民の多数が「犯人を死刑にすべきだ」と考えたとしても、それだけで死刑にしていいということにもならない。裁判への「民意」の反映が本当の意味で「国民主権」を前進させることになるのは、その「民意」が憲法というものをきちんと理解したうえでのものであってこその話なのである。
もともと憲法というものは、権力を抑制するために存在する。とくに、人を罰する国家の権力、つまり国家の刑罰権は、身柄を拘束したり刑務所に収容するなど、強制的に人の自由を奪い、場合によっては生命さえ奪うという、きわめて強力な権力である。だから、憲法は、この刑罰権を抑制するために、犯罪捜査や刑事裁判において警察・検察・裁判所といった関係する権力機関が守らなければならない手続を、多くの条文を割いて定めている。憲法が定めているこれらの手続の詳細を、法律には素人の人たちが完全に理解することは、たしかに難しいことである。しかし、裁判員制度が始まるいま、少なくとも以下のことはきちんと理解しておかなければならない。
それは、刑事裁判の目的は犯人を処罰することにあるのではない、ということである。よく言われる「真実発見」ということも、半分はあたっているが半分はそうではない。刑事裁判は、犯罪を犯してもいないのに犯人に仕立て上げられたり、あるいは不当に重い刑罰を科せられたり、といったことがないようにするための手続なのである。だから、被告人が犯人だということが証拠に基づいて完全に証明されないかぎり有罪にできないし、証拠そのものも疑う余地なく信用できるものでなければならない。要するに「疑わしきは罰せず」である。人々がこの一点さえきちんと理解していれば、裁判員制度は、権力機構を構成する職業裁判官に任せっきりだったこれまでの刑事裁判手続を、よりよい方向に変革していくものとなるであろう。
素人が関与すると情緒的な判断に流れる危険があり、とくに昨今の「厳罰化」を求める世論動向(というより、作られた「世論」という趣のほうが強いように思うが)のもとでは、裁判員裁判が本当に公正に行われるだろうか、という危惧は、ないわけではない。しかし、では専門家(職業裁判官)に任せればそういう危惧はないのかというと、じつはそうではない。最近、やたらと死刑判決が多い(今年に入ってからでも、すでに7〜8件の死刑判決があったように思う)のは、法律の専門家である職業裁判官もまた、「世論」(作られた「世論」)に引きずられているという証拠であろう。あるいは、職業裁判官だからこそ、まさに職業として死刑を言渡すだけで、その「重さ」に鈍感になっていることの表れともいえる。そんなときに、むしろ、死刑判決の「重さ」を実感できる素人が関与することで、行き過ぎた「厳罰化」に歯止めをかけるということも、期待できるのではないだろうか。(2009年5月4日記)

 
【浦部法穂さんプロフィール】
法学館憲法研究所顧問。神戸大学名誉教授。弁護士。
神戸大学法学部長・副学長、名古屋大学大学院法学研究科教授を歴任。『憲法の本』(共栄書房、2005年)、『憲法学教室(全訂第2版)』(日本評論社、2006年)など著書多数。