「市民による司法」「市民のための司法」(2)  
2010年2月8日
宮本康昭さん(弁護士)
(1)より続く

―――「より身近な司法へ」というのが今般の司法制度改革のキーワードの一つでした。いまなお少なくない市民は、弁護士などとは付き合いたくない、付き合わないですませるものならそうしたい、と思っているのではないでしょうか。市民は司法を身近に感じるようになってきているのでしょうか。
(宮本さん)
この間、弁護士過疎地域に、弁護士会によるひまわり基金法律事務所(公設事務所)や法テラススタッフ弁護士事務所がつくられ、多くの弁護士が赴任しました。九州の壱岐や鹿屋、北海道の紋別、等々などの地域でも弁護士が地域住民のための仕事で大忙しになりました。どの地域でも弁護士による法的サポートへの潜在的な需要があったのです。
私がある弁護士過疎地域に行った時ですが、“この村は平和で、争いごとはない”と言われました。ところが、その村の人が実際に法的トラブルに直面すると都心の法律事務所に出向き、弁護士にサポートを依頼するのです。村には独特の人間関係があって、その中での議論でトラブルを解決することには難しいところがあるのでしょうが、法的な解決を迫られることになると、やはりその人たちには弁護士や司法が必要なのです。
全国的に法律相談や法律扶助の件数が増えてきました。市民が司法を利用するようになり、「より身近な司法へ」と進んできています。
最近各地の裁判所の姿勢も変わってきていて、玄関の受付が丁寧になり、市民が裁判所に入りやすくなってきています。これも「より身近な司法へ」前進している証しと言えるかもしれません。

―――ところで、裁判員制度について、宮本さんは市民の関心が高まっていることを評価しつつ、問題点も指摘されていますよね。
(宮本さん)
私は2009年、「裁判員制度の必要性はどう議論されたか」(『日本社会と法律学』(渡辺洋三先生追悼論集、日本評論社)に収載)という論文を書きましたが、裁判員制度導入の目的が最終的に、裁判への国民の「理解の増進」「信頼向上」となってしまった(裁判員法1条)ことに大きな問題があると考えています。当初は裁判の現状に対する批判の中で裁判員制度の必要性が語られることが多かったのですが、最終的には現状の裁判についての評価は明確になりませんでした。裁判所や検察庁はそこのところには蓋をしたくなるのでしょう。こうして、これまでの職業裁判官による裁判がうまく機能しているということになってしまうと、市民は「それでは自分たちでやって下さい」となり、裁判員として裁判に参加する意義を見出せません。結局、政府も最高裁判所も、そしてマスコミも、裁判員制度の意義を市民に適切に伝えない状況になってしまっています。
本来は、人質司法、調書裁判などと言われ、えん罪が後を絶たない刑事司法の現実を直視し、それを是正するのは「市民の力」なのだということが明確にされ、裁判員制度の必要性もそのような視点から語られなければならないのです。
職業裁判官に「お任せ」では駄目で、司法についても、その本来の担い手は市民なのだということを伝えながら、司法への市民の参加を広げていかなければなりません。

―――市民の司法への参加の必要性も含めて、司法を市民に身近なものにしていくためには、その適切な情報発信や教育が重要だと思いますが、どのようにお考えですか。
(宮本さん)
その通りです。
しかし、その点は極めて遅れています。私は大学で学生たちに教える機会もありますが、学生たちには司法についての基本的な知識も十分に伝わっていないことを痛感します。法情報の発信や法教育の充実はこれからの課題として本格的に進めていかなければならないと思います。

―――司法制度改革は今後とも積極的に進めていかなければならないと思います。本日はありがとうございました。

 
【宮本康昭さんのプロフィール】
元裁判官。1971年の再任拒否事件により弁護士となる。日本弁護士連合会司法改革実現本部事務局長、同本部長代行、東京経済大学教授等を歴任。
著書に『危機に立つ司法』(汐文社、1978年)などがある。